マティチョンは、「拡散した結節点の政治:軍政党、NCPO政党の姿が鮮明に」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 「NCPO政党」乃至は、「軍政党」の姿がどのようなものであるのか、徐々にその輪郭が明確に示され始めてきている。パイブーン・ニティタワン氏(注:上院40グループの反タクシン派政治家)の「改革国民(プラチャーチョン・パティループ)党」から始まり、続いてラチェン・トラクンヴィアン氏の「新選択(ターン・ルアックマイ)党」も結成された。2014年1月に「バンコク・シャットダウン」運動を実行し、2014年5月のクーデター発生を導いたPDRCグループが支える「大衆集合(ムアン・マハープラチャーチョン)党」は、未だに姿を示していないが、軍政党の「輪郭」(カオ)から「構造」(クローン)が見え始めてきた。「プラチャーラットの力党」、「タイ国民の力(パラン・チャートタイ)党」、「新法力(パランタムマイ)党」から読み取ることが出来ることは、何も複雑なことはないのである。スチャート・トンジャルーン氏(注:ソムキット副首相を中心とする新党結成の準備をしているとされる元内務副大臣)を迎え入れて、ソムサック・テープスティン氏(注:スコータイ周辺など下北部地域に影響力がある元副首相で中道主義党(当時)の実質的な指導者)の動きと調整をしているに過ぎない。

 プラユット首相をどこかの政党の顧問団長に迎え入れようという試みや、「プラチャーラット政策」から「タイ主義(タイニヨム)政策」を発案したソムキット副首相を迎え入れようという試みは、1991年2月クーデター後の「正義団結(サマキー・タム)党」の結成、2006年9月クーデター後の「4つのステップ」の内の一つとされた「国家貢献(プアペンディン)党」と「中道主義(マッチマーティパタイ)党」の結集よりも大幅な発展が見られる。しかし、正義団結党が辿った運命はいかがなものであっただろうか。スチャート・トンジャルーン氏ならはっきりと答えることが出来るであろう。そして、中道主義党がどのような運命を辿ったのか、「デーン姐御」(タクシン元首相の実妹で北部地域の実力者のヤオワパー女史の渾名)だけでなく、ソムサック・テープスティン氏でも答えられるであろう。

 プラチャーラットの力党、新法力党、タイ国民の力党の結成と改革国民党、新選択党、そして今後姿を見せる大衆集合党の結成を一緒に合わせ考えてみれば、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防相の抱える問題とは、どのような政策を打ち出すべきか、ということではなく、(首相候補名簿に掲載させるのに)どこの政党を選ぶか決断することである。これは、政治学でも法学でも経済学でもなく、「魅力」(サネー)をどうマネージメントするかという問題である。仮にプラチャーラットの力党を選んでしまった場合には、(他のNCPO政党である)タイ国民の力党、新法力党、さらに、(親軍政党の)改革国民党、新選択党、大衆集合党を懸念させ、見捨てられたという感情を与える影響が出てしまう。

 総選挙の実施が2018年11月であろうと、2019年2月になろうと、その選挙の結論を考えることは難しいことではない。1992年3月の総選挙、2007年12月の総選挙、2011年7月の総選挙、これら過去の選挙結果から予想することが出来る。(反軍勢力又はタクシン派が結果的に勝利したという歴史的事実があるため)インラック前首相がほくそ笑んでいる姿がみえるかもしれない。