ポストトゥデイ・オンライン版は、シリチャイ労働大臣辞任に関する評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 「半分の民主主義」による行政運営の下で3年が経過した。国民の大半は、憲法が認めた自由と権利を有しているが、他方で暫定憲法第44条によって、プラユット首相兼NCPO議長は思いのままに運営している。現在、2014年暫定憲法第44条に基づく強権は、以下のように、2017年現行憲法の第265条によって規定され、引き継がれている。「NCPO議長に2017年暫定憲法に規定された職務と権限を引き続き与える」。

 これまで第44条の強権は、治安問題を解決するために残されてきたものであると理解されてきた。NCPOが国家運営を開始した当初、何度も治安が乱れる事態が生じていたので、問題を解決するために特別な権限が必要であった。しかし、これまで繰り返し使用されてきた第44条は、治安問題を解決するためではなく、それ以外の行政運営に利用することに目的を変化させてきた。汚職調査のための委員会の設置や外国政府からの圧力によって生じた経済問題を解決するためなどに使われていた。

 さらにその後には、第44条は公務員の人事異動に最も使用されるようになっている。一例をあげれば、下院事務局長の更迭の際には、新国会議事堂の建設事業の不透明さを理由に第44条を発動し、後任に組織の垣根を跳び越えて、上院事務局に下院事務局の運営を委ねた。その結果、下院事務局の公務員達は、自身の組織から後任を選出すべきと反発し、最後には、NCPOは命令を修正し、下院事務局から後任を出すことによって、事務局からの反発の火消しに努めることになった。

 最近、第44条への反発が再び大きな問題となっている。今回はこれまでの反発よりも遙かに大きく、プラユット政権の閣僚まで不満を表明するために辞任する事態にまで発展している。11月1日、第44条に基づくNCPO議長命令が発出され、ワラーノン・ピティワン雇用局長が労働副事務次官に更迭され、アヌラック・タサラット労働副事務次官が後任の雇用局長に就任した。今回の第44条の発動後、シリチャイ・ディッタクン陸軍大将・労働大臣と彼の政治任用チームであるジャルーン・ナパスワン陸軍大将・労働政務官、アーラック・ポンマニー労働大臣顧問、タニット・ピピットワニチャカーン陸軍中将・労働大臣秘書官が揃って即時に辞表を提出した。

 シリチャイ労働大臣、通称「ビー兄貴」は、予科士官学校第13期生で、プラウィット副首相兼国防大臣に可愛がられている弟分である。シリチャイ労働大臣は、以前に国防事務次官に就任していたが、それは大物であるプラウィット副首相兼国防大臣の引き立てによるものであった。なぜ公務員の人事異動ごときで閣僚が辞任する事態になったのであろうか、その理由は何であろうか。

 重要な要因はプラユット首相のこれまでの追い込みにあったのかもしれない。プラユット首相は、9月にカンボジアを訪問した際に、カンボジア首相に対して、タイ政府は急いでタイ国内で就労するカンボジア人労働者の国籍証明手続きを実施することを約束したが、実際には、その責任部局である雇用局がプラユット首相の望む通りに対処しなかったのであった。それを理由にプラユット首相は、第44条の強権発動の剣を振るって「虎の絵を描き、牛を驚かす」ことをしたのであった。しかし、このような尊厳を無視した強権発動は、通常とは異なって、「牛を虎に驚かせなくさせ」、閣僚の辞任によって逆襲されたのであった。

 辞任の理由の一部としては、シリチャイ大将が既に不満を積み重ねてきていたことがある。これまでに何度もタイ政府が外国政府から人身売買問題対策で攻撃を受けた際には、労働省が被告人扱いを受けてきたことがある。さらに極めつけは、ジャリン・ジャクカパーク内務省地方自治推進局長を定年退職したMLブンナタリック・サミティ労働省事務次官の後任の事務次官に就任させる人事がなされたことである。通常のシニアな公務員の異動は、組織の垣根を越えることはしない。そのような人事をすれば、省内の自治が失われ、省内の人々は、これまでと異なった新しい上司に不満を持つ。しかもポストが部外者に奪われたことで、後輩達の出世の道が阻まれることになり、省内の職員達の志気に重大な影響を与えることになるからである。

 この辞任による波及効果は、近いうちに内閣改造を導くことになるだけでなく、プラユット首相の第44条の発動が今後は「魔法の杖」となり得なくなることが強調されるべきことである。第44条の発動は、単にNCPO議長を守るだけの鎧に過ぎず、任務遂行の効率化の役にはたたないのである。