ポストトゥデイ・オンライン版は、ピチャイ元民主党党首による挙国一致内閣提案について評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。
「挙国一致内閣」は、再び政治の流行語として帰ってきた。ピチャイ・ラッタクン元民主党党首は、憲法付属法の審議に躓き、ロードマップに沿って総選挙が実施されることは難しいので、国民和解のために「挙国一致内閣」を樹立すべきとの意見表明をした。「教えを授けようというのではないが、真実を語ろう。国家の希望には、それほど難しくない別の選択肢もある。それは、次の政府は、美しい形態にすることである。つまり、タイ貢献党、民主党、タイ名誉党が軍に協力し、挙国一致内閣を樹立することである」とピチャイ元党首は提案した。
挙国一致内閣を樹立するという考えは、2006年クーデターが発生する以前に政治対立が深刻化して以降、これまでにも多くの関係者が理論として提案してきた。挙国一致内閣の構造はそれほど複雑なものではなく、「中立の人物」を首相に就任させ、野党が存在しない下院が立法府の役割を果たすというだけに過ぎない。しかし、この理論をこれまでに実践した経験はない。なぜなら、選挙を経た立場である政治家からの反発に晒されるからである。議会に野党が存在しないという方針は、民主主義の原則を蔑ろにするものであると見ているからである。だが実際のところ、政治家が反発する理由は、自身の政治的権威を他の人物に譲り渡したくないからともいえる。
これまでの10年余、タイは2回のクーデターと総選挙を経た政権の樹立とその崩壊を交互に繰り返し、「色シャツ」別の大規模な政治集会を3,4回招き、国民の生命と財産が失われてきた。通常の政治メカニズムによって問題を解決できない場合、「挙国一致内閣」の言説が巻き起こり、NCPO時代にも再び巻き起こったのである。NCPO時代は、挙国一致内閣の樹立に向けて最も努力をしている時代である。この動きは、2015年に遡り、アネーク・ラオタマタットが率いる国家改革会議(NRC)の議員達がNRCの議場にて、新憲法施行後の総選挙後に生じるであろう社会対立を解消させるためのメカニズムとして提案したことがあった。NRCは、この提案を新憲法に関する国民投票の追加質問とすることを提起していた。「新憲法下での総選挙の実施後に生じる可能性のある対立を防止し、もしくは対立を解消するメカニズムとして、憲法施行後の少なくとも4年間、改革のために、下院議員定数の5分の4の支持を受ける国民和解内閣を樹立することにあなたは賛成しますか」という追加質問であった。しかし、これはNRCで憲法草案が反対多数で否決されたことによって、消えてしまった。
旧憲法草案否決後のミーチャイ・ルチュパン新憲法起草委員会(CDC)委員長は、憲法草案を起案し、国民投票を実施して、憲法草案に関して重要な変更を実施して、挙国一致内閣を導くための2つの要件を盛り込んだ。第1に、「選挙区比例代表連動型」選挙制度の導入である。同制度では、選挙区、比例代表合計500人の下院議員の選出を選挙区での1票に基づいて決定するものであり、過去の議会のように、特定の政党が過半数を占めることを絶対に出来ないようにさせるものである。(注:実際は、単独政権が下院過半数を占めることは制度的には可能)第2に、5年間に限り、上院議員が首相選出の投票に加わることである。この制度は、憲法草案を巡る国民投票での追加質問に盛り込まれ、国民の多数が賛成した結果を受けて導入されたものであり、議会が各党が選挙管理委員会(EC)に事前に提出している首相候補名簿に記載されていない非議員の外部の人間を首相に選出できるように定めている。
上記の2つの制度により、新政権の樹立には、上院の声が反映されることになるため、政党の影響力だけで行うことは困難になった。各政党が提案した首相候補リストが上院に気に入られなければ潰されてしまうことになると考えられている。従って、将来の政権をスムーズに成立させるために、「挙国一致内閣」の言説が重要になっているのである。しかしながら、そのような政権が樹立できるということは、あくまでも理論上に過ぎない。実際のところ、政治家が自らの政党所属ではない中立の人物を首相に選出することに賛同することは困難である。中立の人物の名前が、「プラユット・チャンオーチャー陸軍大将」、現首相兼NCPO議長であれば、なおさらのことである。中立の人物がプラユット首相でなく、各政党がなんとか容認できるような人物であるか、各政党が賛同するような重要な条件が整えば、例え民主主義の原則の一部を失ったとしても、国民和解のために、中立首相が5年間国家運営を担うことを認めることもあるだろう。