マティチョンは、「政治の信頼、総選挙への自信、NCPOへの信頼」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 2017年憲法が施行されたが、同憲法の経過規定により「暫定憲法第44条の強権」が未だ発動可能なことにより、プラユット首相は、丘の上に立って周囲を見渡すがごとく、スムーズにルートを進んでいるかのようである。しかし、4月に新憲法が施行されて以降、NCPOとプラユット政権は、そのように進めようとしているのだろうか。憲法付属法の法制化手続きを見ていると、それがどうなのか判別できなくなる。

 二ピット・イントラソムバット(民主党副党首)の出した結論は、「ロードマップの延期は不可避であり、総選挙の実施は2019年になる」というものであった。そのような「イメージ」(マノー)で見られているものの、ウィサヌ・クルアガーム副首相からも、ポンペット・ウィチットチョンチャイ国家立法議会(NLA)議長からも、スラチャイ・リアンブンルートチャイNLA副議長からも、「(総選挙の実施は)この先そんなに長くはない」という同じ回答であった。

 憲法起草委員会(CDC)とNLAと間での(憲法付属法案を巡る)考え方の違いを巡る対立の進展は、単に両者の「相違点」を見せようと提示をしているだけかもしれない。ボーウォンサック・ウワンノー版の憲法草案の事例について、二ピットは、無視することの出来ない前例であると指摘している。2015年9月の国家改革会議での憲法草案の採決の際には、政府は賛成であると立場を示していながら、たったの一晩で憲法草案への見解が変わり、その結果、憲法草案は否決された。そして、ボーウォンサックはショックを受け、政治の舞台から姿を消し、受けた傷を癒やすために、この経緯の教訓として、手短に「彼は長く居続けたいのだ」と結論づけた。

 「彼は長く居続けたいのだ」。2015年9月の結論は、憲法起草と承認までの期間を延期させたいということであった。「太鼓持ち」(アイホイ・アイホーン)達の感情に注目すれば、深く理解する(ターサワン)ことができるだろう。2015年9月を経て、2016年8月を経て、2017年4月に至るまでの期間のアピシット民主党党首の要求事項を追ってみると、総選挙の実施に向けて1からカウント仕始めることを主張しているかのようである。文字通りに憲法を読んでみれば、総選挙の実施は遅くとも2018年末ということになる。しかし、現在のCDCとNLAの対立状況をみれば、そのスケジュールにも疑念が生じることになる。(CDCとNLAの対立の)役割は、「タイ伝統劇」(リゲー)を演じているかのようである。馬は馬ではなく、「バナナの葉で作った偽物の馬」(ガーンクルワイ)であり、刀はウッタラディット県のナムピ地区産出の銘鉄から作られたものではなく、木刀であり、敵に刀を突き差すのではなく、(刺された振りをして)脇の下に刀を挟むだけに過ぎない。

 2015年9月の悪夢が再び戻ってきたのである。それが、二ピットに「2018年に選挙が実施されるなんてことを考えることは、もうやめていい。2019年に延期になるだろう」と自信を持って思わせたのである。つまり、憲法を信じず、NCPOを信じないに等しいことである。プラユット首相であろうとウィサヌ副首相であろうと、NCPOの「頭から尻尾の先」まで、全ての手続きは、法律に則って進められるとの立場を説明することは自然なことである。法律は政治の真実であり、彼がそう言えば、彼の配下は言うことを聞くが、彼が言ったとおりに着手すれば、彼の配下は信じるだろう。もうすぐである。その答えが見られるのは。