マティチョンは、「ゴールドカードの危機、赤色のタイ貢献党ではなく、NGOである」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 南部での(公聴会での)「抗議の退出」(ウォークアウト)であろうと、北部での抗議の退出であろうと、東北部での抗議の退出であろうと、最近のバンコクでの騒動であろうと、その騒ぎを起こしているのは「赤シャツ」でも、(赤シャツの最大組織の)「UDD」(反独裁民主戦線)でも、タイ貢献党でもない。確かに彼らは30バーツ医療制度との関係があるものの、これらの騒ぎの全てを起こしているのは、NGOである。これらのNGOは、30バーツ医療制度の調整を巡って、「タイ健康促進基金」(ソー・ソー・ソー)及び「国家健康保障事務局」(NHSO)と長く緊密な関係を保っているグループである。

 (これらの健康保障制度改正法案に反対運動を主導しているNGOの中に)サーリー・オンソムワン(注:消費者保護財団事務局長)の名前があり、ブンユーン・シリタム(注:消費者団体連合会長)も二ミット・ティアンウドム(注:エイズ・アクセス財団所長)の名前もあり、彼らが連携しながら、活動していることから、これらのNGOが「市民団体」であることは輝くほど明確である。この点については、ポンデート・ピンプラティープ医師(注:国家健康委員会事務局長兼国家立法議会議員で健康保障制度改革法案の検討小委員会委員長)が最も良く理解しているはずである。

 30バーツ医療制度がタイ愛国党によって導入されたので、その後継のタイ貢献党の政策であると思うのは大きな誤解である。確かにタイ愛国党内にプロミン・ルースリデート医師やスラポン・スープヴォンリー医師のような人物が居たから、保健コミュニティーの(ユニバーサルケアの)考え方の要点を橋渡しすることが出来たということがある。中でもサグアン・ニットラムパーポン医師の考えを伝えたことが重要であった。サグアン医師は、民主党に対して(ユニバーサルケアの導入を)提案したことがあったものの、民主党内にはプロミン医師やスラポン医師のような人物が居なかったことから、同提案を理解できずに政策に取り入れることがなかったのであった。一方で、タイ愛国党は、他の政党よりもより長期的な将来を見通しており、提案を理解することが出来たのであった。このように、30バーツ医療制度は、タイ愛国党によって出てきたものではなかったのである。実際のところ、その土台は、NGOなのであった。

 IOと呼ばれるような医療の実践を導入するためであったものが、逸脱し、歪められた情報と政治的介入によって混乱を招き、公聴会を潰すことになったのであった。ここでいう政治とは、NCPOが考えているような(赤シャツによるような)ものではない。北部や東北部で混乱が発生しているが、そもそも騒動が南部から始まって、バンコクで(混乱のまま公聴会が)終了したのであり、NCPOはその点について疑問を持たないのだろうか。

 実際のところ、30バーツ医療制度を破壊し、変更しようという試みに対して、NGOは、2015年の8月にラチャタ医師からピヤサクン医師に保健大臣が交代となった当初から気がついていた。保健コミュニティーの中のNGOで、経験豊富なニミット氏やサーリー氏、ブンユーン氏が何故気がつかないというのか。それだけでなく、保健コミュニティー内の諸団体は、タイ健康促進基金と緊密な関係にある。

 30バーツ医療制度は、タイ愛国党の2人の医師による推進で始まったものではない。違うのである。仏暦2544年(西暦2001年)から導入され、既に20年近くに及ぶ30バーツ医療制度は、「共有財産」のようにタイ社会に深く浸透している。特に地方住民(チャオバーン)を中心とした国民の共有財産となっているのである。