マティチョンは、「我慢して待つ、政党、政治家はNCPOを待つ」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 憲法付属法の政党法と選挙管理委員会法の制定は遅延しそうな傾向がみられており、総選挙の実施時期は延期になるかもしれないが、これに対して、ソムサック・プリサナーナンタクン(注:タイ国民発展党幹部)は、「もし急いで法律だけを制定したとしても、社会が前進しないのであれば、政治家も喜んで(時が来るのを)待つ。既に3年も待ったのであるから、これより少し待つことになっても問題はない」と述べた。考察に値する興味深い発言である。

 NCPO、政府、それらの「太鼓持ち連中」(クン・ホイ、クン・ホーン)からは、揃って、政治家は選挙の実施を望んでいるからであるとの内容を発言している。NCPOと政府を批判するのは、人々に忘れられないようにするためである。しかし、ソムサック氏の発言は、タイ貢献党、民主党の他の政治家達の発言と類似しているので、興味深い。要するに「これまで待ってきたので、これからも待つことができる」というものである。 

 実際のところ、1958年10月のクーデター以降、(選挙実施を)長期間待たされた経験を有した政治家は少なくない。同クーデター後、総選挙が実施されたのは10年後であった。1971年11月のクーデターは、約4年後の1975年4月に総選挙が実施された。1976年10月のクーデターの際には、(選挙まで)3年間待たされた。1991年2月のクーデタは、1年間待たされて総選挙を実施して、1992年の「暴虐の5月」事件を招いた。2006年9月のクーデターの際には、(選挙まで)1年待たされた。従ってソムサック氏の発言は、理解できるものである。しかし、NCPO、政府、「太鼓持ち連中」には理解できるだろうか。

 タイ貢献党であろうと民主党であろうとタイ国民発展党であろうと、政治家が待機するということは、「硬直痙攣してダウン」(ンゴーゴーンゴーキン)しているに等しいのである。しかし、チャトゥロン・チャイセーン(タイ貢献党幹部)、アピシット・ウェーチャチワ(民主党党首)、ソムサック・プリサナーナンタクン(タイ国民発展党幹部)の職務を見てみると、全く「硬直痙攣してダウン」とはいえない。訴訟を抱えていようと、旅券を没収されようと、チャトゥロン氏がライバル勢力に屈服しているだろうか。常に政治家の立場として、役割を示そうとしている。アピシット氏もソムサック氏も同様である。同時に、この待機期間中には、彼ら政治家は、NCPOと軍政「5つの河」に対して、政府として、行政運営者として全力で役割を示す機会を与えてきた。問題は、これまでの3年間の成果が素晴らしかったかどうかである。もし素晴らしかったのであれば、2014年5月からのNCPOの国家運営が国民の希望と一致していたということであり、今後5年間政権に居座り続けたとしても誰も何も反対はしないであろう。しかし成果がその反対であれば、各自が自分勝手にバラバラに逃げざるを得なくなるだろう。

 タイ貢献党であろうと、民主党であろうと、タイ国民発展党であろうと、政治家達は、クリアンサック・チャマナン陸軍大将(首相)やスチンダー・クラープラユーン陸軍大将(首相)などが辿った運命を見た経験があり、それからの教訓を得ている。だから彼らは、冷静に待つことが出来るのである。