ポストトゥデイは、「政党を凍結し、混乱を防ぎ、NCPOの安定性を強化する」と題した政党活動規制に関する評論記事を掲載しているところ概要以下のとおり。
プラユット首相兼NCPO議長の以下の言葉からの合図は明確であった。それは、政治活動の解禁という政治家の夢を打ち砕き、それどころか、より政党の規制を強化するというものであった。
「時間になれば騒いでおいて、(政治活動の)解禁を要求してくる。自分達自身が闘争を解除せず、誰かを解きほぐすことなど出来ない。だから自分も(政党活動の)解禁などしない。まずは協力し合わなければならない。それが出来たら、全員に解禁ができる。もし協力もせず、何も言うことを聞かず、意見も述べないで、利益だけを得ようというのなら、自分は解禁などしない。むしろ、より一段規制を強化しようと思う。」
これは全く予想されていなかった内容ではない。各政党が何度も一部の政治活動が可能なように要求しても、NCPOは、これまで、まだ自由に政治家に政治活動を解禁すべきではないとの意思表示を継続していた。自由な政治活動の解禁でも、批判的な意見表明の完全解禁でもなく、寄付金を受け取ったり、入党の受付を処理するなど、通常の党運営を妨げない範囲で、また総選挙の実施に向けた将来の体制を作るための最低限の党会議の開催や打ち合わせすらも、NCPOは、政党活動を許可するに値する十分な理由はないとみており、従って、異常な真空状態は現在まで継続したままとなっている。
憲法草案の国民投票の実施前には、NCPOが政党に政治活動を認め、国家の最高法規に関して意見表明することが出来るようになると予想されたことがあった。しかし、NCPOは結局のところ、政党に意見表明をさせることも、党内意見を集約するための党会議の開催も許可せず、それどころか反対に国民投票の前には、より厳しい規則を以て、政党が全力で憲法草案を批判することを妨害した。
NCPOが常に強調し、懸念している点は、自由な政党活動を解禁してしまえば、再び混乱を招くことが避けがたいということである。NCPOの視点からみればこういうことである。NCPOは、「鉄の掟」をもって状況を管理しようとしているが、それでも一部の政治家は、様々な方法でNCPOの運営に批判を続けており、それが何度もNCPOの安定性を傷つけてきた。そのうち何度かは、NCPOへの信頼を激しく損なわせ、人気を大きく落とすことになった。まだ政治集会のスタイルでの意見表明を認めていないが、それを認めてしまえば、これまでクーデターから2年間封じられていた分、即時に「爆発」することになり、国家は混乱状態に戻ってしまう。また重要なことは、この機会に乗じて、第3者がNCPOが対処出来ないほどの混乱状況を作り出そうとするかもしれないということである。ロードマップの最終コーナーに差し掛かり、NCPOは計画を狂わせる変数やリスク要因をコントロールする必要がある。そうしなければ、これまでわざわざ実施してきた全ての事が、最終目的地点に到達する前に水の泡になってしまうからである。
政党からのNCPOに対する圧力は強まってきている。政党は、1年後に控えた総選挙に向けて、政党活動の解禁を要求している。政党にとっては、新制度に変更になるため、十分な準備と対応が必要になる。政党員の募集から選挙の実施まで、全てこれまで経験したことがないスタイルとなる。それ故にNCPOに政治活動の解禁を要求しているのである。しかし、今回のプラユット首相からの合図は、政党の要求通りにはならないことが明確であった。今回の各政党からの圧力の重さを計測すると、これまでよりも重みがなく、NCPOと交渉し、承服させるには十分でなかった。一部の国民は、混乱を招き、社会に損失を与えるような政党活動を封じることを好意的に評価する意見を持っているからである。政党活動が解禁されるのは、政党法が制定され、NCPOの安定性が確実となり、ロードマップ通りに進んだ後の最後の期間だけである。