週刊マティチョン・オンライン版は、国軍人事と枢密院に関する解説記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。
普通ではない状況下での軍事政権期間中には、夢にも見てなかったことが常に起こる。上南部7県での連続爆弾事件が発生した際には、政府及びNCPOは、南部武装グループが活動領域を拡大させた可能性、近隣国や超大国による干渉の可能性よりも、国内政治的な理由が背景にあると見ていた。もしくは、政治家が南部武装グループの手を借りたと考えている。この事件は、報道対策、特殊作戦、秘密作戦で頼りになる特殊戦部隊出身者を次期陸軍司令官に就任させなくてはならないとプラユット首相兼NCPO議長に決断させた。陸軍司令官は、(治安対策の要となる)NCPO事務局長を兼務することになるからである。またプラユット首相が、次期陸軍司令官候補のライバルを低く評価していたこともある。そして、最近、プラユット首相は、プラウィット副首相兼国防大臣と相談し、特殊戦部隊出身のチャルームチャイ陸軍大将・陸軍司令官補を次期陸軍司令官に昇格させることで意見が一致したといわれる。
プラウィット副首相兼国防大臣がプラユット首相のそのような決断に納得したのには、多くの理由がある。憲法草案と追加質問が国民投票で可決したことが、プラユット首相及びNCPOの人気に影響を与えたこともある。また追加質問が可決されたことで、国民の大多数が上院に首相選出に加わることを認め、非議員首相として、プラユット首相が続投することを許可したことが示された。これらの理由が、プラユット首相にプラウィット副首相兼国防大臣と本音での交渉をする勇気を与えたのであった。弟分であるプラユットが兄貴分であるプラウィットに勇気を持って、人事の提案をした際には、プラウィット副首相兼国防大臣は、派閥のボスとして、兄貴として、本音では拗ねていながらも、弟分プラユットの提案を容認したのであった。
プラユット首相がピシット陸軍大将をあまり良く思っていないこともよく知られている。プラユットが陸軍司令官在職時に、ピシットを第1方面軍司令官に異動させなかったことからも覗える。それだけではなく、ピシット陸軍大将は、ウドムデート国防副大臣・陸軍大将による支援を受けて、陸軍特別顧問の地位から陸軍参謀総長に昇進させてもらった経緯から、図らずも「ラチャッパク国立公園一派」(注:ウドムデートが関与したとされる公園整備・運営財団に関する汚職疑惑)と見なされることになった。さらに、ピシット陸軍大将は、「第11歩兵近衛連隊コネクション」と見なされることも不利に働き、陸軍司令官昇進への応援団が足りないことへの理由となっている。ピシット陸軍大将は、「東部の虎」(注:プラチンブリ県駐屯の第2歩兵(王妃近衛)師団の出身者)派閥に所属しているものの、(東部の虎のライバル派閥である)第11歩兵近衛連隊で指揮官、連隊長を経験しており、ダオポン陸軍大将・教育大臣(プラユット首相の友人で、予科士官学校第12期)、パイブン陸軍大将・法務大臣(クーデター成功のキーパーソンで、プラユット首相が遠慮している相手)に近いグループに属すると見られている。プラウィット副首相兼国防大臣が、(同じ東部の虎派閥に属する)ピシット陸軍大将を次期陸軍司令官として推した際には、プラウィットは、ピシットと第11歩兵近衛師団から一緒に昇進してきたアピラット・コンソムポン陸軍中将・第1方面軍隷下軍団長(メータップノーイ)が第1方面軍司令官に昇格することを望まなかった。
2014年5月22日のクーデターの際には、チャルームチャイ陸軍大将が、特殊戦部隊司令官として、プラユット陸軍司令官のために常に秘密作戦を手助けしていたことも忘れてはならない。またプラユット首相が可愛がっている後輩のカンパナート陸軍大将・陸軍司令官補が予科士官学校16期の友人として、チャルームチャイ陸軍大将の昇任へ調整を手助けしていたこともある。このような理由によって、首相府からは、「とにかく首相はチャルームチャイを選んだ」との話題が聞こえてくるようになったのである。プラユット首相は、この話題について、プラウィット副首相兼国防大臣に断言することをしばらく望んでいなかったが、言わねばならぬ状況がやって来た際には、きちんと伝えたのであった。
重要なことは、この人事問題が権力のバランスに関わることである。「王妃の虎」(注:第2歩兵師団隷下第21歩兵連隊(王妃親衛隊))及び「東部の虎」は、2006年9月19日のクーデター以降、継続的に権力を保ち、その頑強さを維持しており、繁栄を誇っている。しかし、「シーサオテウェート」派(注:現在ではプレム枢密院議長の影響下にあるグループを指す)の権力は、滅びることのない永遠の権力であり、常に影響力を保っていることを忘れてはならない。これはプラユット首相でも拒否できない程の絶大な力であり、もしチャルームチャイ陸軍大将を選ばなかった場合には、「シーサオテウェート」のカリスマ性を拒否した合図と受け止められかねない。今後、非議員首相として、連立政権か国民政府かどのような形態であるか分からないが、長く権力の座に留まり続けようとしているプラユット首相とNCPOにとっては、「シーサオテウェート」からの支持を受けることは望ましいことである。
これまでの歴史を振り返ってみれば、「シーサオテウェート」の権力とカリスマが分かるだろう。政治家であろうと、軍人であろうと、誰であろうと、「シーサオテウェート」の権力と対立するようなことがあれば、タクシン・シナワットやスチンダー・クラプラユン陸軍大将とその同期の陸軍士官学校第5期生の例のように、美しくない終焉を迎えることになる。プラユット首相は、「王妃の虎」軍人として、まだ新人の頃から、(王妃の)行啓に付き従っていたことで、常にプレム・ティンスラノン陸軍大将と緊密に仕事を続けてきた。またスラユット・チュラノン陸軍大将・枢密院顧問官、元首相、元陸軍司令官を非常に尊敬してきた。陸軍司令官在職時、プラユット首相は、重要な機会の際に常々、スラユット枢密院顧問官を訪ねに出向いていた。ただし、2014年5月22日のクーデターの際には、プラユット首相自身と主要人物達だけで実行を決断し、2006年9月19日のクーデターの際に、スラユット枢密院顧問官が事前に計画に加わっていたとの批判を受けたのとは異なる状況であった。権力を掌握した後は、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防大臣、内閣及び各軍司令官は揃って、常に重要な催事には、「シーサオテウェート」に挨拶に出向いている。
チャルームチャイ陸軍大将は、スラユット枢密院顧問官の後輩に当たる特殊戦畑の軍人であり、スラユット枢密院顧問官は、プレム枢密院議長のお気に入りの子飼いであり、プレムの権力の継承者になると考えられている。現在の政治状況、派閥の権力とカリスマ性がプラユット首相に決断をさせたのであった。行啓に付き従っていた頃からのプラユット首相とスラユット枢密院顧問官の緊密で親しい関係によって、この両者が一緒になって実行したようなものである。これは政治の移行期の近い将来を見据えただけでなく、それよりも、もっと長期の「国家の移行期」への備えをするためのものである。スラユット枢密院顧問官は、特殊戦部隊畑の軍人であり、プレム枢密院議長のカリスマの下にあり、無視することの出来ない権力グループを作っている。それだけでなく、プラユット首相とスラユット枢密院顧問官の間は、常に連絡を取り合っている。8月5日にプラユット首相とプラウィット副首相兼国防大臣が他の軍人閣僚と共に陸軍制服を着用してチュラチョムクラオ陸軍士官学校王室主催129年式典に出席した際には、スラユット枢密院顧問官も珍しく同じく制服を着て出席していた。これまでスラユット枢密院顧問官は、過去の同校の式典にはあまり参加していなかった。この話題は、国軍内で今後どうなるのかと注目された。
仮に次期陸軍司令官に特殊戦部隊出身者が就任すれば、これはソンティ・ブンヤラットガリン陸軍司令官がクーデター前に就任して以来で10年ぶりとなる。だが、そうなると「東部の虎」の権力はどうなるのかという疑問が沸き起こる。特に現在第1方面軍司令官のテープポン・ティパヤチャン陸軍中将が気になる。テープポン陸軍中将は、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防大臣、アヌポン内務大臣の通称「3P」に続く「東部の虎」派閥であり、次の異動で陸軍司令官補に昇進し、今後は、陸軍司令官候補として目されている。だが、チャルームチャイ陸軍大将が陸軍司令官に昇任すれば、2018年9月まで定年退職することがない。そうなると予科士官学校18期生の後輩にあたるテープポン陸軍中将でも陸軍司令官への就任が難しくなる。そこで、第1歩兵師団派閥から噂されているのが、プラウィット副首相兼国防大臣は、今回のプラユット首相の人事提案を了承するが、チャルームチャイ陸軍大将に陸軍司令官のポストを務めさせるのは1年間だけであり、その後は2017年に(実質的な権力が伴わず、単なる名誉職の)国軍最高司令官に昇任させようと計画しているというものである。この噂は、国軍最高司令部に所属する軍人達にとっては、国軍最高司令官への昇進を目指してきた計画が狂ってしまうことになりかねず、好ましくないものである。
もう一つの疑問がわき上がる。それは、特殊戦部隊と「シーサオテウェート」派は、チャルームチャイ次期陸軍司令官を国軍最高司令官に祭り上げるような人事を容認するのであろうか。ちょうど2017年末には総選挙の実施を予定しており、その時期と異動の時期も重なる。それとも、「東部の虎」が権力を掌握する時代から、「シーサオテウェート」の支持を受けた特殊戦部隊派閥が権力を掌握する時代へ変化するのかもしれない。注目すべき点は、第1方面軍司令官のポストを誰が決めるのかということである。既にプラユット首相は、チャルームチャイ陸軍大将の陸軍司令官への昇任を決めてしまった。これは、「ウォンテーワン」(注:第1歩兵近衛師団出身者グループの別称)のアピラット・コンソムポン陸軍中将・第1方面軍隷下軍団司令官が第1方面軍司令官に昇任することを認めたことになる。同じく予科士官学校第20期で、「東部の虎」でプラウィット副首相兼国防大臣に可愛がられていたクーキアット・シーナカー陸軍少将・第1方面軍副司令官は、常に第1方面軍司令官候補と目されてきたことから、少なくない影響を受けることになる。もし、プラユット首相が、陸軍司令官と第1方面軍司令官の両方の人事について、自分で選び、自分で決断し、自分で責任を取るのであれば、プラウィット副首相兼国防大臣も容認するだろう。
今後の国軍内の権力は、プラウィット副首相兼国防大臣に代わって、プラユット首相に直接帰属することになる。これまでは、全ての道は、第1歩兵近衛師団内のプラウィットの公邸に続くと言われており、最もカリスマがある人物と呼ばれていた。特にこれまでの8月11日のプラウィト副首相兼国防大臣の誕生日には、軍人、警察、公務員がお祝いに駆けつけていた。各軍司令官、警察司令官は言うに及ばず、全ての分野での最高ポストへの候補者で賑わっていた。プラウィット副首相兼国防大臣とプラユット首相との関係が注目され、プラウィットは体が疲れたので辞任したいと愚痴ったことがあるが、これが本気であったのかどうだろうか。ともかく、今回の人事異動では、誰もがプラウィット副首相兼国防大臣の下に相談に駆け込んでいた。プラウィットは、誕生日の際に、「ポストは少ないのだ。望むポストを得られなかった者は、落ち込まないように。公のことを考えて欲しい。国軍のために仕事し、国軍を強化し、国家を前進させよう」と述べていた。プラウィット副首相兼国防大臣も人事異動によって国軍内に対立が生じることを懸念しているのである。もし、プラウィット副首相兼国防大臣がプラユット首相に軍編成と統制の権限を譲り渡し、権力を「シーサオテウェート」の影響下の特殊戦部隊に手放し、「ウォンテーワン」派と権力を共有し、内部対立を生み出さないように、権力の均衡を維持しようとするのであれば、これは、「王妃の虎」、「東部の虎」の新しい歴史の始まりである。