マティチョンは、「ロンドンの音声クリップはウィン・ウィンの結果に。誰にとってのウィン・ウィンか」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。
BBCタイが報じたロンドンでのティー医師(ティラキアット教育相)の音声クリップ問題は、スムーズかつ行儀良く片付いたかのようである。ティー医師が「謝罪」の言葉を述べ、今後も教育大臣に残留することになり、誰も閣内から辞任しないことになった。ティー医師が無礼を認め、プラウィット副首相兼国防相がティー医師の謝罪の言葉を容認したことで、誰も「損害」を被らなかった。第5次プラユット内閣から第6次プラユット内閣へ改造しなければならない可能性がなくなり、改造の必要性もなくなった。つまり、全ての関係者にとって「ウィン・ウィン」状況となったのである。
しかし、ティラキアット医師であろうとプラウィット副首相兼国防相であろうと誰も「損害」を被らなかったというのは真実だろうか。誰にも汚点を残さなかったというのは真実だろうか。ではなぜティー医師に投げかけられたような(辞任しないのかという)質問が出てくるのか、なぜコンチープ国防省報道官は、プラウィット副首相兼国防相が辞任しないことを確認する記者会見を開かなければならなかったのであろうか。それは、ティー医師の発言に拠っている。ティラキアット医師の(音声クリップ内での)発言を要約すれば、(プラウィット副首相兼国防相の)「時計」の問題を例示しながら、政治家の「倫理」に関する繊細な問題に触れていたことが明確であった。プラウィット副首相兼国防相であろうとティラキアット教育相であろうと、辞任しなければどちらも「発言」で言及された批判の対象に該当する。
BBCタイによって公開された当該音声クリップの詳細を振り返ってみれば、全ての内容が「嘲笑」であったことは明白である。要するに「時計」問題を嘲笑する発言であった。この発言によって、(倫理的に)あるべき行動をとらなかった嘲笑の標的となった人物(プラウィット副首相兼国防相)も損害を被り、(倫理的に望ましい)あるべき行為を実際に行わなかった発言者(ティラキアット教育相)自身も「良いのは口だけ」として、損害を被ったのである。
今回の両者の間の衝突を中立的な立場からみて、理解しようとすれば、その結果は「成功」であったように見える。何の「成功」であろうか。それは、意見相違や内部対立を反映した問題を単に「無礼」という問題にすり替えて、亀裂を埋めることに成功したことである。これは、より大きな問題を生じさせることで、問題を解消しようということである。
プラウィット副首相兼国防相の態度は、謝罪を受け入れたことを何も語らないか、または喉が痛いと理由をつけて語ろうとしない。この点については、各自が著しく異なった態度を取っている。プラウィット副首相兼国防相の役割をみても、ティラキアット教育相の役割をみても、(権謀術数の政治対立を描いた著名な中華圏の小説の)「秘曲:笑傲江湖」(タイ語:ユタチャック)の世界のようである。「真の男は、伸びることも縮むことも出来る」(前言を翻して態度を豹変させること)。ここで生じる疑問は、政治的に何のために「伸びることも、縮むことも出来る」ようになるのかである。