ポストトゥデイ・オンライン版は、「民主市民連合(PAD)の教訓、全ての色のデモ隊を凍結させる」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。
この10年間のタイ政治には、タクシン・シナワット元首相という政治的なインフルエンサーの他、タクシン氏に匹敵し、対抗できるPADという政治的インフルエンサー集団も存在していた。「タクシン派は、国会内の政治を支配し、PADは国会外の政治を支配している」と呼ぶことができただろう。
もしPADの活動を人間のライフサイクルに例えれば、「最高地点」もあれば、「最低地点」もあることが分かる。PADの出発点は、2005年に(衛星放送ASTVの)テレビ番組「週刊タイ王国」において、タクシン政権の批判を開始したことに遡る。その批判の勢いは、シナワット家による(シンガポールのテマセク社へのシンコープ社の)株式売却騒動によって盛り上がり始め、同番組は、「PAD」という名称と共に、国会外の政治舞台に突き進んだ。PADは「黄シャツ」の着用を活動の象徴とし、ソンティ・リムトンクン氏(注:ASTVマネージャー社社主)の民間企業とチャムロン・シームアン陸軍少将、ピポップ・トンチャイなどの市民団体などの出自が異なる集団がタクシン政権を打倒するという唯一共通の目的のために一緒になって結成されたものである。2005年のPADの動きは、タクシン政権を一定程度追い込み、タクシン首相に2006年の解散総選挙実施を明言させるに至った。タクシン政権にとって総選挙の実施は危機からの脱出口になると思われていたが、結果はそのようにはならなかった。それどころかPADをさらに活気づけ、最終的には2006年9月19日にクーデターを導くことでタクシン政権を崩壊させた。その後の事態は、PADが望むままに進展し、社会からは、国会外のインフルエンサーとして注目され続けることになった。
PADは、2008年にサマック・スントラウェート政権及びソムチャイ・ウォンサワット政権を打倒するために再び大規模集会を実施した。その際、PADはこれまでの国会外政治勢力のどの勢力も使用したことのない闘争方法を実践した。例えば、首相府をデモ隊の本拠地として占拠したこと、ドンムアン空港とスワンナプーム空港という両方の国際空港でデモを実施したことである。そうしたデモを193日間、つまり6ヶ月に亘って継続し、その年内に国民の力党(注:原文ではタイ貢献党)政権を崩壊させ、民主党政権を樹立させるに至った。
現在までの約10年に亘って続いてきたPADの歴史に残る政治闘争の成果が、逆にPADの幹部達を今日のように追い込ませることになるとは誰も想像していなかった。最高裁判所は、空港占拠事件の責任として、PAD幹部13人に対し、タイ空港公団(AOT)に5億2200万バーツの損害賠償を支払うことを命じる判決を下した。平均すれば、一人当たり4000万バーツの賠償額である。この訴訟に関し、これまでPAD幹部13人は、集会が空港閉鎖の原因ではないと主張し、裁判所で争ってきた。PADによれば、集会が実施されても人々は通常通りに空港を利用することが出来ており、AOT役員が空港の閉鎖を決断したに過ぎないため、自らには責任はないと主張してきた。しかし、結果としてPADの主張は最高裁に聞き入れられることはなかった。今後は関係する政府機関が判決に従って、被告達から賠償のための資産を没収する手続きを進めることになる。その結果、一部のPAD幹部は破産を余儀なくされる可能性もある。
こうしてPADの政治の幕は完全に下ろされることになったのである。ただし、PADのエピローグは、他の色を纏った多くの国会外の政治集団に対して「ドミノ効果」を与えることにもなり、彼らもこの先の長い期間、路上の政治に戻ってくることはないかもしれない。以前のタイには、現在のように集会を厳しく規制するルールが存在しなかったため、数多くの色を纏った政治デモ隊が反対勢力を追及する活動を可能にさせていたという面もあった。しかし、現在の憲法やその下位の法を含む法体系の下では、以前のような思いのままにデモを実施することは難しくなっている。特に現在では、「2015年公共集会法」が施行されており、警察に集会を管理する権限を付与している。だが、それ以上に刑事罰を下され、民事賠償責任を下されることの方がデモの実施の重大な障害となるだろう。それにより、誰もが路上での反政府政治集会の開催を躊躇することになる。このまま進んで集会を実施すれば、禁固刑を下されること、損害賠償の支払いに怯えなければならない。しかし後退すれば、支持者である大衆を失うことになる。今回、PADが直面した困難は、他の国会外の政治集団への警告と教訓となり、今後の運動を困難にさせることになる。そして市民政治運動を解消に導くかもしれない。もし市民政治運動が強固でなくなったら、それは現政権への利益となり、さらに将来には選挙で選ばれた政権も市民政治運動の煩わしさから解放されることになるだろう。