トンナムのタイ政治経済研究室

タイ政治の解説、分析などを中心としたタイ研究の専門家によるブログです。

2016年09月

プリチャー国防事務次官を巡る評論記事

ポストトゥデイ・オンライン版は、「プリチャーを急襲する台風、プラユットを揺さぶる」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 数多くの「台風」がプリチャー・チャンオーチャー国防事務次官に現在襲いかかっている。これは、実兄であるプラユット首相兼・NCPO議長にも影響を与えている。

 最初の問題は、チェンマイ県の「ポンパン開発堰」である。プリチャー次官の妻であるポンパン・チャンオーチャーの名前を堰の名前につけたことが妥当かどうかとの疑問を呈されている。その後、「ポンパン開発堰」は、地元住民達が、常に住民達を支援し、訪問してくれる同夫人への親しみと敬意を示すために名前をつけたものであると説明されたが、批判は続いている。SNS上では、国防事務次官夫人で同組織婦人会の会長であるからといって、自らの発案による事業に自らの名前を冠して、国民から集めた税金を使用しても良いのかという批判が盛り上がっている。この行為は、国家予算を自らの人気取りのために支出することであり、政治家達が以前に行っていた行為と同じであるため、誤解を与えることになるからである。

 シースワン・ジャンヤー憲法擁護協会事務局長は、この件について、ポンパン夫人とプリチャー次官が1999年汚職防止法に違反していないかどうか調査するように国家汚職防止委員会(NACC)に申し立てを行った。国防事務次官という国家機関の指揮命令権限者による職務不作為ないし、恣意的な職務遂行があったかどうかを明確にさせることが重要である。当然ながら、もしこの問題が他の人物よるものであれば、ここまで騒がれることにはならなかったであろうが、首相の実弟の夫人という立場である上は、国民から注目
され、一般人以上に厳しい倫理基準が期待されることは当たり前である。ましてや、NCPOは国家改革を推進するために自発的に国家運営に乗り出しているのであるから、自らが改革しようとしている者達と同じ道を辿ることがないように、自らを律することから始めなければならない。

 上記の問題に続いて、今度は、プリチャー次官の息子が株主となっているコンテンポラリー・コンストラクション社の問題も持ち上がってきた。同社は、第3方面軍から2つの建設事業、合計26900万バーツを請け負っている。請負事業の1つは、2015年3月23日契約の第3方面軍隷下、ペチャブン県所在ポークン・パームアン基地内の多目的棟建設であり、もう1つは、2016年4月25日契約のターク県所在ワチラプラカーン基地内病院勤務家族向け集合住宅の建設である。この問題は、利益相反に当たる可能性があり、上記の「堰」の問題よりも深刻である。プリチャー次官は、以前に第3方面軍司令官を務めていたため、当時の部下達が現在も勤務している。同社が第3方面軍での調達の際に採用されたことが、どの程度適切であったのか、ライバル企業に対しても公正な評価がされていたのかという疑念が生じることは不思議なことではない。

 プリチャー次官は、自身は全く関与しておらず、(息子の)支援のために権力を行使したことはなく、息子に関することは、一切合法である。入札価格については、競争相手の会社と比べて、息子の会社が提示した価格が満足のいく金額であったため、第3方面軍が請け負わせたのであると説明している。これはデリケートな問題である。なぜなら、NCPOは、清廉潔白な運営が行われるように規則を改める努力をしているからである。特に利益相反の問題をなくそうとしている。それにもかかわらず、NCPO議長の身近な人物が問題に関わってるとなれば、より深刻な影響を与えることになる。

 このような問題が生じたのは、今回が初めてではない。以前にもプリチャー次官がプラウィット国防大臣の権限を代行し、自身の息子を陸軍少尉の階級として軍に採用したことが話題となった。その際には、多くの軍人が同じようなことをやっていると説明していた。これらの行為については、「自身がプラユット首相の実弟であるから問題となって批判されているに過ぎないのだ」と反駁するのではなく、社会に対して、真相を明確な説明をしなければならないことである。そうでなければ、現在プリチャー次官に向かっている批判の圧力が、最後にはプラユットに向かって行くことになり、NCPOの安定性に影響を与える。終わりに差し掛かっているロードマップを揺るがすことになる。

ソムキット副首相と内閣改造に関する評論記事

マティチョンは、「カーテンの中の噂とソムキット副首相:内閣改造の謎」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 内閣改造に関して、デジタル経済社会省の重要性を強調し、その枠をできる限り小さくしようと努力しているものの、何らかの理由によって「噂」が響き渡っている。これは、ウッタマ情報通信技術(ICT)大臣が再び大臣の職位に戻ってこられるのかどうか確実でないことを反映している。この疑念は、「ウッタマ氏を再び大臣として戻すのかどうかについては、その質問に今は答えるときではない」との発言が理由である。これは、現実を反映した発言であるが、これは、自動的にウッタマ氏の立場が不確実であることを示すことになった。

 もう一つの理由は、内閣運営の現実にある。特に経済チーム長としてのソムキット副首相の立場と信頼がなくなり、疑念を持たれるようになっていることを反映している。首相府からは、「省名を変更したからといって、大臣を変更しなければならないわけではない」との確認があり、重たい疑念を軽くさせることができた。一方で、大臣の変更の可能性を排除できなくなる複雑なことが起きた。それは、大臣の「代行者」の任命である。代行者は、(経済チーム長である)ソムキット副首相ではなく、プラチン副首相であった。ウッタマ氏は、ソムキット氏の副首相就任時に一緒に同じチームとして、2015年8月にICT大臣に就任した。プラチン副首相がソムキット副首相の代わりに農業協同組合省の監督をすることになったケースと比較すると、この問題がいかにセンシティブであり、ソムキット副首相の経済チーム長の立場がセンシティブな立場かというのが分かる。 

 絶対に無視することのできない問題は、経済チーム長としてのソムキット副首相の担当分野である。単に「形式の上」ではなく、「実際」にそれを運営できているかどうかである。(軍人の影響下にある)運輸省、エネルギー省の上を監督することができているのだろうか。ICT省(まで担当から外れ)、そして農業協同組合省も同様である。つまり、ソムキット副首相は、チュアン政権時のスパチャイ副首相の立場と同じであり、2015年8月以前のプリディヤトーン副首相の立場と何ら違いがないのである。「分割して統治せよ」の格言が戻ってきたのである。それは、プリディヤトーンが経済チーム長の時代からの政権運営方法が、ソムキットが経済チーム長となった今の時代にも継続されているからである。「天外有天」(有能な人よりもさらに有能な人がいる)である。

 ソムキット副首相の経済チーム長としての立場はセンシティブなものである。よって、特別注意深く入念に内閣改造の手続きをおこなわなければならず、派手に噂を生じさせることは極めてセンシティブなのである。これはプリディヤトーンが辿ったのと同じ道である。

内務省による選挙実施提案に関する評論記事

マティチョンは、「ウィタヤー・ゲオパラダイの役割に注目-国民投票モデル」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 当初、セーリー・スワンナパーノン氏とワンチャイ・ソーンシリ氏の2人による下院議員選挙法案、政党法案への提案を聞いたとき、国家改革推進会議(NRSA)の国家改革委員会政治部門による「報告書」の形式で提起されたため、人々は、多少の「重み」を感じたが、それが「重要」であり、「真剣」であるとは考えなかった。セーリー氏とワンチャイ氏の2人の役割は、いつも、単なる「切り込み隊長」に過ぎないからである。彼らは、「道を拓くために石を敷き詰める」役割を引き受けている。そこにウィタヤー・ゲオパラダイ氏が「自分が内務省に選挙管理委員会の代わりに選挙の実施をやらせることを提案した」と自ら主張してきた。セーリー氏の立場は、委員会の委員長であるが、ウィッタヤー氏の発言により、一挙に提案の「重要性」と「真剣度」が高まったように見られた。

 ウィタヤー氏の政治基盤を絶対に忘れてはならない。同氏の政治活動は、1973年10月14日事件に遡り、1976年10月6日事件で影響を受けたものであり、従って、同氏の政界への入り方は、チャムニ・サクディセート氏、スッタム・セーンプラトゥム氏と似たような経歴である。同氏がナコンシタマラート県で民主党に加わったことは、河川が分岐するような、竹が枝分かれするようなものであった。スッタム氏がタイ愛国党に向かったのに対し、チャムニ氏とウィタヤー氏の2人は、民主党に向かったのであった。チャムニ氏が内務副大臣に就任したことで、かれらは、サナン・カジョンプラサート陸軍少将によって民主党に招かれたと誤解されることがあるが、実際のところは、サナン氏ではなく、ステープ・トゥアクスバンが挙手して、特別にチャムニ氏とウィタヤー氏を民主党内に招いたのであった。その後、ウィタヤー氏は、保健大臣に就任し、民主党下院議員会長にも就任した。PDRCが結成されたときには、ウィタヤー氏とステープ氏の関係はより切り離せない程近いものになっていた。ウィタヤー氏がNRSA議員に就任した背景も、ステープ氏によるものであった。

 ウィタヤー氏は、「内務省に選挙管理委員会の代わりに選挙を実施させ、NCPOに選挙管理の手伝いをさせるという2つの意見は、両方とも最初から自分が提案した内容である」と認めている。この提案は、同氏の「政治家」としての立場だけでなく、「選挙のエキスパート」としての立場を明確に反映させたものである。同氏は、2014年2月の総選挙妨害に加わった経験があり、その教訓として、「選挙管理委員会は脆弱であった」と結論づけているのである。また、「現在の内務省は、30年前とは大きく異なっている。省内の様々な組織は、既に分権化で外に移管されてしまった。だから県知事といえど、ほとんど誰にも命令を出来なくなっている」とみている。一方で、「秩序維持センター」が国民投票の際に果たした役割を敢えて無視しているのである。つまり、同氏の提案は、「国民投票の際のモデル」を応用させようとしていることに等しい。ウィタヤー氏からの提案がなされたということは、これは基本的にステープ氏から提案されたことに相当する。「国民投票モデル」を2017年総選挙にまで適用させようとする試みは、8月の憲法草案を可決させた成功経験を活かし、同じように進めようとしているという「シグナル」である。つまり、PDRCが「歌い」、NCPOが「踊る」のである。

内務省による選挙管理提案に関する評論記事

ポストトゥデイ・オンライン版は、「内務省による選挙運営-権力継承のための二刀流」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 国家改革推進会議(NRSA)の政治分野・国家改革推進委員会が選挙管理委員会(EC)の代わりに内務省に選挙の運営を任せるべきとの提案を行ったところ、即時に大きな反響と強い反対意見が沸き起こった。驚くべきことではない。なぜなら、この提案は、国家を過去に経験してきた問題にまで後退させるように見られるからである。以前のタイでは、中立的で、潔白で、直接的ないし間接的な干渉を受けることなく、政治的な有利、不利を生み出さないように総選挙の運営を行ってくれること期待して、「独立委員会」としてECを設置させるために闘争を続けていたのであった。

 内務大臣の職権は、県知事レベルから村長レベルまで各レベルの内務省職員の公務員を監督できるため、このメカニズムは、政治家にとっての道具になってしまう。例えば、選挙の実施前に異動をすれば、政権与党は、配下の人材や信頼できる人材を自らの地盤やライバル陣営の地盤に配置することで自らに有利な状況を作り出すことができる。お互いの利益のために合意するなり、将来の出世を見返りに成果を上げるように身を捧げるといった「回路」を通じて、選挙制度を腐敗させ続け、政権与党をライバルより有利にさせてしまうのである。そのため、過去の誤りを繰り返さないためシステムを発展させることでECが誕生したのである。

 内務省に選挙運営をさせるというホコリが被ったアイデアを今回再び持ち出してきたことは、権力継承への道を拓き、それを実現させるため、「表と裏」の「二刀流」を使おうとしているようにみえる。「第一刀」は、(国民投票の追加質問が可決したことを受け)「上院が首相選出に加わる」の意味を拡大解釈し、「上院が首相候補の指名が出来る」ようにキャンペーンを行って、「候補外首相」誕生への道を拓く計画であった。しかし、憲法起草委員会が「上院が首相選出の投票に加わる」のみであり「首相候補の指名」は出来ないとの立場を明確にしてしまったために中断されてしまった。今後は、憲法裁判所が憲法起草委員会の立場を支持するか、それとも国家立法会議(NLA)が主張するように、NCPOによって選出された250人の上院議員が首相候補指名をできるという立場を支持するのか、どちらかの判断を下すことになる。

 内務省に選挙運営をさせようとする動きは、上院に首相候補を指名させることが出来なかった時のための予備の計画である。1680万人が国民投票で憲法草案に賛成し、1510万人が追加質問に賛成するという、2007年の国民投票を上回る結果を導いたのは、部分的には各地方で仕事に取り組み、絨毯を敷き詰めてくれた内務省の功績であるとみられている。さらに内務省のメカニズムは未だ頑強であることも強調しておかねばならない。上院が首相候補指名を出来ないかも知れないという可能性があるので、内務省に総選挙の運営を行わせるという考え方が出てきたのである。最初の首相選出の際であろうと、(各政党の首相候補リストから首相選出が出来ない場合の特別選出方法が適用される)2回目の選出の際にも、25議席を有する政党があれば、プラユット首相に続投させることができるのである。2回目の選出の際には25議席も必要としていない。これは、パイブン・ニティタワン元国家改革会議議員が「国民改革党」を設立準備していることを明らかにしたが、このアイデアと一致している。クーデター体制下の各組織のシステムとメカニズムが一致して、「権力継承」を強調しているのである。

 今回の使用されなかったボーヴォンサック・ウワンノー版憲法草案では、内務省に全ての選挙運営を行わせ、ECには、(選挙違反に関する)「イエローカード」、「レッドカード」を配らせる役目を負わせるというアイデアがあり、内務省に選挙運営をさせるという提案は、その一部を引用したものである。「選挙運営」と「選挙不正調査」の権限を分割することがシステム全体を効率的にするとの説明がなされていた。各政党は、この提案に反対であったことは不思議なことではない。ゲームの先を読めば、内務省が選挙運営を行うことで、自分たちの地盤に影響を与え、さらには将来の議席数にも関わることになるからである。この問題は、憲法起草委員会がこのアイデアに賛成するかどうかにかかっている。重要なことは、国民投票を通過した新憲法第224条で「選挙を実施運営する者は、ECである」と明確に規定されていることである。

軍による政党設立の動きに関する評論記事

デイリーニュースは、「政治の柵の中で軍人政党設立の花を摘む」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 今週のホットイシューは、「軍人政党」ないし軍のシンボルカラーから「緑政党」の設立に関する動きである。赤シャツ側の派閥に属する国家改革推進会議議員のソムポン・サラカヴィーは、プラユット首相兼NCPO議長の友人である或る軍人が、これまでの歴史のように崩壊してしまわない政党をどのように設立すれば良いかと助言を求めてきたと明らかにした。ソムポン議員がどのような意図を持って、そのような話を述べたのかは分からないが、政治的な潮流を作り出そうとしたか、国民投票を通過させた軍靴達に対して、その意志を探るために石を投げつけたのであろうが、この真相はソムポン自身しか知ることができないことである。

 タイ貢献党の動きもホットイシューである。タイ貢献党は、プラユット首相が政党を設立し、総選挙に出馬することが「威厳のある形」であると主張し、プラユット首相自身が以前に主張していたように、2年間の政権運営を国民が評価しているかどうか知ることができるので、そのようにするようにと、プラユット首相に出馬を促す一員に加わった。シナワット家の義理の弟であるソムチャイ・ウォンサワット元首相も以下のように述べている。「軍人政党であろうと、どのような政党であろうと歓迎する。そして正しいことである。自身を証明するために政党を設立すべきである。我々は民主主義の制度下におり、主権は国民に属するものであるので、国民に決断し選択させるべきである。重要なことは、(首相に続投するために)政党を設立する方が、その他の方法(で続投)するよりは、良いことである。国民が(続投するべきかどうか)決断できるからである。」

 憲法草案に「否決」の立場を取った民主党の守旧派は、プラユット首相に対して、自らの政党を設立するのか、それとも他の政党に自らの首相就任を支持させるのか、立場を明確にするように促している。民主党内の「自由人」である二ピット・インタラソムバット副党首は、「軍人政党を設立することは、ただのジョークではないだろうか。『軍靴達』は、反対派グループからアドバイスを求めるようなことはしないだろう。ただプラユット首相が政党を設立するのであれば、その動きを支持する。プラユット首相のこの方向性は、非常に良いものである。政党を設立することは出来る。長期政権になるか短期政権で終わるかは、国民からの信用、信頼を得られるか、信頼される人材を党内に有しているかどうか、明確で実行可能な政策が提案できるかどうか次第である」と述べた。

 プラユット首相は、政治家からの指摘を「鳥の声」か「カラスの鳴き声」の程度のように見ており、「友人」と「自分」は別の話と受け流しているが、(政党設立の臆測に対して)明確な容認も否定もしていないままである。「現在、まだ何も考えていない。考えているのは、残りの期間の国家運営をどうするか、それだけでも十分、大変なものである。先のことは先のこと。まだ憲法も施行されておらず、憲法付属法案もまだ出来ていないというのに、自分が何をしゃべるというのか」と答えただけであった。この先長くない内に、プラユット首相の口から語られることになるだろう。

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