トンナムのタイ政治経済研究室

タイ政治の解説、分析などを中心としたタイ研究の専門家によるブログです。

2016年08月

深南部での爆弾事件に関する評論記事

マティチョンは、「パッタニー県の自動車爆弾の爆発音は『答え』に等しい」と題し、上南部7県での連続爆弾事件とパッタニー県での自動車爆弾事件について評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 上南部7県17カ所での放火、爆弾事件は、誰の仕業でどのような目的であったのか不明確なままである。しかし、ホテル前で発生した自動車爆弾は明確である。それは、事件の発生した場所がパッタニー県ムアン郡ルーサミレー地区ドーンラック村であったこと、自動車爆弾であり、この12年間でも最も大量の火薬であったことから読み取ることができる。事件の起こった現地を管轄する治安機関の関係者によれば、犯人が使用した爆弾は、手製爆弾に15キログラムのガスタンク2本の内部に仕込まれた合計して180キロ以上の爆発物が引火するように構成されていた(ポストトゥデイ8月25日付より)。従って、先日発生した7県での爆弾事件と同じ特徴であり、容量と威力だけが異なったことが示されている(クルンテープトゥラキット8月25日付より)。もし7県での事件が「合図」であるとすれば、パッタニーでの事件は、「答え」であったことに等しい。「手口」に注目してみれば、上南部7県17カ所であろうと、パッタニー1県4カ所であろうと、事件の「署名」のようなものが見えてくるのである。問題は、この「手口」がどのような「戦略」のために実施されたかである。

 8月23日の深夜から24日早朝にかけて発生した事件の状況を検討してみよう。最初は、22:40の外のトイレでの爆発であった。その後、23:15にいすゞのピックアップトラックを使用した「自動車爆弾」がホテルの正面前で炸裂した。その後、ボートーン定期市場前でも爆発が起こった。捜査担当者の分析では、第1の爆弾は、ボートーン市場で使用されたものと同じ種類であり、これは囮のようなものであった。本命の爆弾は、ホテル正面の方であった。

 さらに複雑怪奇なことは、この手口で使用された「自動車」である。国内治安維持部隊(ISOC)第4方面報道官にしろ、平和のための仏教徒ネットワークにしろ、保健大臣にしろ、皆、以下のような声明で述べていたことは、この使用されたピックアップトラックがパガーハラン病院の救急車であったことによる。「治安当局の目から隠すために救急車を使用して、事件を発生させたことは、誰にとっても容認できることはない。救急車は、人類の命を救う象徴であり、これを武装グループが違法行為をするための道具として使用したのである」。つまり、「戦略」を達成するためには、あらゆる「手口」を使用してきたということである。

 上南部7県17カ所での事件とパッタニー県での自動車爆弾事件を結びつけるモノは、「国民投票」であろうか。もしくは、憲法草案、国民投票が通過した状況であろうか。
それとも政治目的を達成するために、軍事力を見せつけようとしたものであろうか。その答えは、深南部国境3県であろうと、上南部7県のような、その他の地域であろうと、混乱を生じさせることが出来る程の十分な潜在力があることを示したかったからであろう。23日深夜から24日早朝にかけて続いたサウザン・パッタニーホテルでの生々しく、熱い自動車爆弾作戦が、まだ「雇われた荒くれ者」の仕業だというのだろうか。これは、当然ながら、まさしく「破壊活動」(ウィナーサカム)である。この「破壊活動」は、「政治的な目的」を持った「テロリズム」(ゴーガンライ)活動の範疇の中に入ると認められるかどうか。「政治目的」、それは、「交渉」に集約される。2014年5月のクーデター以降、深南部であろうと、マレーシア国内であろうと、全く進捗を見せようとしない交渉相手に対して、見せつけたに等しいのである。問題は、平和交渉団の代表、アクサラー・グーッドポン陸軍大将にとって、この現実の状況を認められるかどうか。また、交渉相手が「死後硬直したモヤシのような相手」だけでなく、暴力的で頑強で、敬意を示そうともしない一派が未だ残っている相手でも良いのかである。これらのグループには、より深い理解が必要となる。

プラユット政権長期化に向けた評論記事

デイリーニュースは、「NCPOの長期ゲームを読む」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 憲法草案と追加質問が国民の多数から承認された。国民投票という検問所を難無く通過することができた。今後の残りの手続きは、プラユット首相兼NCPO議長の職務である。プラユットは、全ての組織をNCPOのロードマップに沿って進ませるために、両手に抱えた権力を行使するのである。現在の状況は、「カードゲーム」のたった一言で表現すことができる。「カード」は、秘密裏に机の下に置かれており、それぞれのカードが配られようとしている。現在、内視鏡で診察すれば、プラユット首相は、「翼の生えた虎」に近い状態であり、短くとも2018年までは国家運営を出来る査証を入手したのである。まだ政治家が騒ぎ声を上げる多くのシーンが残されている。

 机の上に現れる「最初のカード」は、「国民投票の追加質問の解釈」である。これは、明確な原則があった。つまり、内閣とNCPOの間では、最初の政権が出来てから5年間は、上下院合同で750人が各政党が提案していた首相候補リストから投票を行うが、もし首相選出に合意できなかった場合に「非議員首相」を検討するというものである。そして誰が非議員首相の提案をできるのかを規定するのは、憲法起草委員会の職務である。同委員会は、字義通りに解釈しながらも国民の意図を汲みながら、「ナイフ」を使って、追加質問を切断し、新憲法草案に縫い合わせいく。

 「2番目のカード」は、「2014年暫定憲法第6条の改正」であり、これによって国家立法会議議員の定員を220人から250人までに増加させることである。これは、治安機関職員、軍人が(9月末で)定年退職するのに合わせ、その椅子として用意するためである。彼らは現在の政権中に重要な数々の法律を制定し、施行させることを期待されている。

 「3番目のカード」は、現在お披露目の準備をしている「国家戦略」である。これは新憲法の第275条に基づいており、内閣が新憲法の施行日から120日以内に国家戦略に関する法律を制定し、その後1年以内に国家戦略計画を策定しなければならないというものである。これは、将来の全ての政権に「施政方針演説」実施すること、毎年の予算法案をNCPOによって決められた国家戦略と一致させることを義務づけることになる。

 「4番目のカード」は、「倫理基準」の作成である。これは、新憲法の第219条に基づくものであり、憲法裁判所が独立機関と協力して作成させるものであり、内閣、下院、上院に適用されるものである。この基準への違反者は、失職し、選挙出馬の権利が取り消させる可能性もある。

 「5番目のカード」は、10本の「憲法付属法令」である。この中には、政党法が含まれており、時々話題になる「セット・ゼロ」が実施されるかもしれない。「セット・ゼロ」とは既存の政党を全て解党し、再登録をさせるというものである。

 これら全ての動きが組み合わされて総選挙の実施に向かっていけば、選挙後には、非議員首相による連立政権が誕生するという「サプライズ」があるかもしれない。現在、ゲームをコントロールする者のロードマップに一致して、将棋の駒は全て配置されたといえる。

タイ共産党残党の動きに関する解説記事

クルンテープトゥラキットは、タイ共産党残党の動きに関する解説記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 多くの人が「違法結社」容疑で逮捕され軍事裁判所に拘留されている「15人の高齢者」がスケープゴートではないかとの疑問を投げかけている。また、この「民主主義革命党」なる組織が本物か偽物かと疑いがもたれている。

 国家情報庁によれば、同高齢者グループの中の重要人物は以下の4名である。
(1)ウィラチャット・チャンサアート、62歳。ノンタブリ県バーンクルアイ在住で、スラチャイ・セーダン(元タイ共産党員)とスナイ・ジュラポンサトン(元ナコンサワケン県選出下院議員)と親しい人物。
(2)プラパート・ロージャナピタック、67歳。トラン県在住で、プラサート・サップスントン元タイ共産党中央委員の弟子に当たる人物。
(3)プラモート・サンハーン、63歳。サトゥン県在住で元サトゥン県農業専門学校副学長、元タイ共産党員バンタット山地管区所属(ナコンシタマラート-トラン-パッタルン-クラビ-サトゥンの各県を担当)。
(4)シリラット・マノーラット、71歳。パッタルン県在住で元タイ共産党バンタット山地管区所属。

 以上の4名全員は、現在ラオスのビエンチャン在住、「レッド・サイアム」代表のスラチャイ・セーダンとの関係を持っている。「民主主義革命党」ないし「民主主義革命戦線」とは、どのような経緯を辿ってきたのだろうか。国家情報庁の説明によれば、「民主主義革命党」は、「タイ革命人民党」から分離して設立された新しい団体である。「タイ革命人民党」は、(以前と同じイデオロギーを持つ)元タイ共産党員達よって、2012年に結党会議が行われ、赤シャツ支持者を勧誘し、党員を拡大することを目指した。「タイ革命人民党」は、タイ社会の天地を転覆させるという革命方針を宣言をした。スラチャイ・セーダンは、自らの「レッド・サイアム」率いて、同党に合流した。プラユット陸軍司令官が、軍によって権力を掌握した直後、「タイ革命人民党」の党員達は、姿を隠して、地下に潜った。同党の中央役員達は、近隣国に脱出し居住している。2015年、スラチャイのグループは、「タイ革命人民党」から分離して、「民主主義革命党」の設立を計画した。そして、信頼できる人物に委任し、「元同志」のノンタブリ県の自宅にて、新党の結党を行った。その後、スラチャイによる新たな革命組織の幹部達は、新たな幹部を育成しながら、全国で大衆基盤を拡大させていった。

 治安機関関係者によれば、NCPOは、8月7日の国民投票の前から、この新たな革命組織の幹部の動向を軍に監視させていたという。もし憲法草案の否決派が勝利した場合には、赤シャツがプラユット政権打倒の大衆運動を実施するかも知れなかったからである。結果的に国民投票は、賛成派の勝利であった。そのため、NCPOは、上南部7県での爆弾事件が発生するまで、彼らを逮捕するのが遅れたのであった。一方、軍は、彼らの幹部を速やかに逮捕できたのであった。革命組織のネットワークが逮捕されたとはいえ、スラチャイ・セーダンは、近隣国が彼の居住を認めている限り、未だにタイでの革命思想を普及させているのである。

国軍人事と枢密院に関する解説記事

週刊マティチョン・オンライン版は、国軍人事と枢密院に関する解説記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 普通ではない状況下での軍事政権期間中には、夢にも見てなかったことが常に起こる。上南部7県での連続爆弾事件が発生した際には、政府及びNCPOは、南部武装グループが活動領域を拡大させた可能性、近隣国や超大国による干渉の可能性よりも、国内政治的な理由が背景にあると見ていた。もしくは、政治家が南部武装グループの手を借りたと考えている。この事件は、報道対策、特殊作戦、秘密作戦で頼りになる特殊戦部隊出身者を次期陸軍司令官に就任させなくてはならないとプラユット首相兼NCPO議長に決断させた。陸軍司令官は、(治安対策の要となる)NCPO事務局長を兼務することになるからである。またプラユット首相が、次期陸軍司令官候補のライバルを低く評価していたこともある。そして、最近、プラユット首相は、プラウィット副首相兼国防大臣と相談し、特殊戦部隊出身のチャルームチャイ陸軍大将・陸軍司令官補を次期陸軍司令官に昇格させることで意見が一致したといわれる。

 プラウィット副首相兼国防大臣がプラユット首相のそのような決断に納得したのには、多くの理由がある。憲法草案と追加質問が国民投票で可決したことが、プラユット首相及びNCPOの人気に影響を与えたこともある。また追加質問が可決されたことで、国民の大多数が上院に首相選出に加わることを認め、非議員首相として、プラユット首相が続投することを許可したことが示された。これらの理由が、プラユット首相にプラウィット副首相兼国防大臣と本音での交渉をする勇気を与えたのであった。弟分であるプラユットが兄貴分であるプラウィットに勇気を持って、人事の提案をした際には、プラウィット副首相兼国防大臣は、派閥のボスとして、兄貴として、本音では拗ねていながらも、弟分プラユットの提案を容認したのであった。

 プラユット首相がピシット陸軍大将をあまり良く思っていないこともよく知られている。プラユットが陸軍司令官在職時に、ピシットを第1方面軍司令官に異動させなかったことからも覗える。それだけではなく、ピシット陸軍大将は、ウドムデート国防副大臣・陸軍大将による支援を受けて、陸軍特別顧問の地位から陸軍参謀総長に昇進させてもらった経緯から、図らずも「ラチャッパク国立公園一派」(注:ウドムデートが関与したとされる公園整備・運営財団に関する汚職疑惑)と見なされることになった。さらに、ピシット陸軍大将は、「第11歩兵近衛連隊コネクション」と見なされることも不利に働き、陸軍司令官昇進への応援団が足りないことへの理由となっている。ピシット陸軍大将は、「東部の虎」(注:プラチンブリ県駐屯の第2歩兵(王妃近衛)師団の出身者)派閥に所属しているものの、(東部の虎のライバル派閥である)第11歩兵近衛連隊で指揮官、連隊長を経験しており、ダオポン陸軍大将・教育大臣(プラユット首相の友人で、予科士官学校第12期)、パイブン陸軍大将・法務大臣(クーデター成功のキーパーソンで、プラユット首相が遠慮している相手)に近いグループに属すると見られている。プラウィット副首相兼国防大臣が、(同じ東部の虎派閥に属する)ピシット陸軍大将を次期陸軍司令官として推した際には、プラウィットは、ピシットと第11歩兵近衛師団から一緒に昇進してきたアピラット・コンソムポン陸軍中将・第1方面軍隷下軍団長(メータップノーイ)が第1方面軍司令官に昇格することを望まなかった。

 2014年5月22日のクーデターの際には、チャルームチャイ陸軍大将が、特殊戦部隊司令官として、プラユット陸軍司令官のために常に秘密作戦を手助けしていたことも忘れてはならない。またプラユット首相が可愛がっている後輩のカンパナート陸軍大将・陸軍司令官補が予科士官学校16期の友人として、チャルームチャイ陸軍大将の昇任へ調整を手助けしていたこともある。このような理由によって、首相府からは、「とにかく首相はチャルームチャイを選んだ」との話題が聞こえてくるようになったのである。プラユット首相は、この話題について、プラウィット副首相兼国防大臣に断言することをしばらく望んでいなかったが、言わねばならぬ状況がやって来た際には、きちんと伝えたのであった。

 重要なことは、この人事問題が権力のバランスに関わることである。「王妃の虎」(注:第2歩兵師団隷下第21歩兵連隊(王妃親衛隊))及び「東部の虎」は、2006年9月19日のクーデター以降、継続的に権力を保ち、その頑強さを維持しており、繁栄を誇っている。しかし、「シーサオテウェート」派(注:現在ではプレム枢密院議長の影響下にあるグループを指す)の権力は、滅びることのない永遠の権力であり、常に影響力を保っていることを忘れてはならない。これはプラユット首相でも拒否できない程の絶大な力であり、もしチャルームチャイ陸軍大将を選ばなかった場合には、「シーサオテウェート」のカリスマ性を拒否した合図と受け止められかねない。今後、非議員首相として、連立政権か国民政府かどのような形態であるか分からないが、長く権力の座に留まり続けようとしているプラユット首相とNCPOにとっては、「シーサオテウェート」からの支持を受けることは望ましいことである。

 これまでの歴史を振り返ってみれば、「シーサオテウェート」の権力とカリスマが分かるだろう。政治家であろうと、軍人であろうと、誰であろうと、「シーサオテウェート」の権力と対立するようなことがあれば、タクシン・シナワットやスチンダー・クラプラユン陸軍大将とその同期の陸軍士官学校第5期生の例のように、美しくない終焉を迎えることになる。プラユット首相は、「王妃の虎」軍人として、まだ新人の頃から、(王妃の)行啓に付き従っていたことで、常にプレム・ティンスラノン陸軍大将と緊密に仕事を続けてきた。またスラユット・チュラノン陸軍大将・枢密院顧問官、元首相、元陸軍司令官を非常に尊敬してきた。陸軍司令官在職時、プラユット首相は、重要な機会の際に常々、スラユット枢密院顧問官を訪ねに出向いていた。ただし、2014年5月22日のクーデターの際には、プラユット首相自身と主要人物達だけで実行を決断し、2006年9月19日のクーデターの際に、スラユット枢密院顧問官が事前に計画に加わっていたとの批判を受けたのとは異なる状況であった。権力を掌握した後は、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防大臣、内閣及び各軍司令官は揃って、常に重要な催事には、「シーサオテウェート」に挨拶に出向いている。

 チャルームチャイ陸軍大将は、スラユット枢密院顧問官の後輩に当たる特殊戦畑の軍人であり、スラユット枢密院顧問官は、プレム枢密院議長のお気に入りの子飼いであり、プレムの権力の継承者になると考えられている。現在の政治状況、派閥の権力とカリスマ性がプラユット首相に決断をさせたのであった。行啓に付き従っていた頃からのプラユット首相とスラユット枢密院顧問官の緊密で親しい関係によって、この両者が一緒になって実行したようなものである。これは政治の移行期の近い将来を見据えただけでなく、それよりも、もっと長期の「国家の移行期」への備えをするためのものである。スラユット枢密院顧問官は、特殊戦部隊畑の軍人であり、プレム枢密院議長のカリスマの下にあり、無視することの出来ない権力グループを作っている。それだけでなく、プラユット首相とスラユット枢密院顧問官の間は、常に連絡を取り合っている。8月5日にプラユット首相とプラウィット副首相兼国防大臣が他の軍人閣僚と共に陸軍制服を着用してチュラチョムクラオ陸軍士官学校王室主催129年式典に出席した際には、スラユット枢密院顧問官も珍しく同じく制服を着て出席していた。これまでスラユット枢密院顧問官は、過去の同校の式典にはあまり参加していなかった。この話題は、国軍内で今後どうなるのかと注目された。

 仮に次期陸軍司令官に特殊戦部隊出身者が就任すれば、これはソンティ・ブンヤラットガリン陸軍司令官がクーデター前に就任して以来で10年ぶりとなる。だが、そうなると「東部の虎」の権力はどうなるのかという疑問が沸き起こる。特に現在第1方面軍司令官のテープポン・ティパヤチャン陸軍中将が気になる。テープポン陸軍中将は、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防大臣、アヌポン内務大臣の通称「3P」に続く「東部の虎」派閥であり、次の異動で陸軍司令官補に昇進し、今後は、陸軍司令官候補として目されている。だが、チャルームチャイ陸軍大将が陸軍司令官に昇任すれば、2018年9月まで定年退職することがない。そうなると予科士官学校18期生の後輩にあたるテープポン陸軍中将でも陸軍司令官への就任が難しくなる。そこで、第1歩兵師団派閥から噂されているのが、プラウィット副首相兼国防大臣は、今回のプラユット首相の人事提案を了承するが、チャルームチャイ陸軍大将に陸軍司令官のポストを務めさせるのは1年間だけであり、その後は2017年に(実質的な権力が伴わず、単なる名誉職の)国軍最高司令官に昇任させようと計画しているというものである。この噂は、国軍最高司令部に所属する軍人達にとっては、国軍最高司令官への昇進を目指してきた計画が狂ってしまうことになりかねず、好ましくないものである。

 もう一つの疑問がわき上がる。それは、特殊戦部隊と「シーサオテウェート」派は、チャルームチャイ次期陸軍司令官を国軍最高司令官に祭り上げるような人事を容認するのであろうか。ちょうど2017年末には総選挙の実施を予定しており、その時期と異動の時期も重なる。それとも、「東部の虎」が権力を掌握する時代から、「シーサオテウェート」の支持を受けた特殊戦部隊派閥が権力を掌握する時代へ変化するのかもしれない。注目すべき点は、第1方面軍司令官のポストを誰が決めるのかということである。既にプラユット首相は、チャルームチャイ陸軍大将の陸軍司令官への昇任を決めてしまった。これは、「ウォンテーワン」(注:第1歩兵近衛師団出身者グループの別称)のアピラット・コンソムポン陸軍中将・第1方面軍隷下軍団司令官が第1方面軍司令官に昇任することを認めたことになる。同じく予科士官学校第20期で、「東部の虎」でプラウィット副首相兼国防大臣に可愛がられていたクーキアット・シーナカー陸軍少将・第1方面軍副司令官は、常に第1方面軍司令官候補と目されてきたことから、少なくない影響を受けることになる。もし、プラユット首相が、陸軍司令官と第1方面軍司令官の両方の人事について、自分で選び、自分で決断し、自分で責任を取るのであれば、プラウィット副首相兼国防大臣も容認するだろう。

 今後の国軍内の権力は、プラウィット副首相兼国防大臣に代わって、プラユット首相に直接帰属することになる。これまでは、全ての道は、第1歩兵近衛師団内のプラウィットの公邸に続くと言われており、最もカリスマがある人物と呼ばれていた。特にこれまでの8月11日のプラウィト副首相兼国防大臣の誕生日には、軍人、警察、公務員がお祝いに駆けつけていた。各軍司令官、警察司令官は言うに及ばず、全ての分野での最高ポストへの候補者で賑わっていた。プラウィット副首相兼国防大臣とプラユット首相との関係が注目され、プラウィットは体が疲れたので辞任したいと愚痴ったことがあるが、これが本気であったのかどうだろうか。ともかく、今回の人事異動では、誰もがプラウィット副首相兼国防大臣の下に相談に駆け込んでいた。プラウィットは、誕生日の際に、「ポストは少ないのだ。望むポストを得られなかった者は、落ち込まないように。公のことを考えて欲しい。国軍のために仕事し、国軍を強化し、国家を前進させよう」と述べていた。プラウィット副首相兼国防大臣も人事異動によって国軍内に対立が生じることを懸念しているのである。もし、プラウィット副首相兼国防大臣がプラユット首相に軍編成と統制の権限を譲り渡し、権力を「シーサオテウェート」の影響下の特殊戦部隊に手放し、「ウォンテーワン」派と権力を共有し、内部対立を生み出さないように、権力の均衡を維持しようとするのであれば、これは、「王妃の虎」、「東部の虎」の新しい歴史の始まりである。

パイブン元上院議員の動きに関する評論記事

マティチョンは、「国民投票結果を解釈する;追加質問が非議員首相を迎える扉を開く」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 パイブン・ニティタワン氏(注:元上院議員、元国家改革会議議員、元憲法起草委員)が憲法草案と追加質問に関する国民投票が可決となった結果が出た直後に、急いで「国民改革党」の結成を発表した理由は何であろうか。その理由を政党結成の会見から検討し、手短に整理してみれば、その理由は、社会から疑惑の目で見られることを打ち消すことであった。特に以下の発言からはっきりしている。「私は、このようなこと(注:プラユット首相を民選内閣の非議員首相として迎えること)を提案した最初の人物である。この発言が、自身が上院議員に任命されたいのではないかとの疑念を抱かれないためにも、今後は上院に選出されることを受けることはなく、下院議員に立候補する予定であることを明確にしておく」。

 パイブンは、ワンチャイ・ソーンシリ等の「上院40グループ」などと同様であることを忘れてはならない。彼らは、(2006年クーデターを主導したグループによって起草された)2007年憲法による「任命制」によって、政治活動を開始した人物達である。ミーチャイ版憲法草案と追加質問は、NCPOによって選出される上院250人に、下院に加わって、首相選出の投票に参加させる権限を認める。今後数ヶ月後に正式に施行されることになる2016年版憲法は、「任命された人々」の人数を以前よりも増加させるだけでなく、権限を強化させることになる。

 これまでパイブンは、任命制の上院議員として、「上院40グループ」のリーダー格の役割を果たし、2007年憲法が職業政治家によって改正されることを防いで来た。国会では、立ち上がって、厳しく、(政敵を)批判してきた。民主党下院議員と協力しながら、憲法裁判所に(憲法改正が違憲であり、不正であるとの)申し立てを起こし、憲法裁判所に(憲法改正に賛成した)上下院の元国会議員の不正を認定させ、5年間の政治活動禁止処分に追い込むまで後一歩というところまで導いた実績を持つ。またインラック政権によるタウィン・プリヤンシー国家安全保障会議(NSC)事務局長の恣意的な人事異動を取り上げて、上院の仲間達の署名を集め、憲法裁判所に申し立てを起こし、インラック首相及び閣僚を失職に追い込む判決を導いた。さらに、タイ貢献党が進めた恩赦法案に対し、その反対運動を展開した際にも、その役割は少なくなかった。ウィタヤー・ゲオパラダイPDRC幹部でさえ、ホイッスルを首からぶら下げ、大衆と一緒に暫定政権打倒のデモ行進に加わるパイブンの参加を断ることができなかった。憲法裁判所がインラックに失職の判決を下した際には、ステープ・トゥアクスバンPDRC事務局長との連絡調整役として、スラチャイ・リアンブンルートチャイ上院議長代行と「第7条首相」発動への道を開くために、応接室で協議する役割を果たした。

 それ故、(クーデターによる)権力の掌握が成功した後には、パイブンが国家改革会議議員として任命され、さらにボーウォンサック・ウワンノーの憲法起草委員会36人の中の1人に選ばれたことは、不思議ではなかった。国家改革会議の役割が終了し、国家改革推進会議には任命されなかったものの、未だその役割は大きい。パイブンは、マノー・ラオワニット医師と共に、パクナーム・パーシチャルン寺院の(ベンツ高級)クラッシックカーの脱税問題を追及し、ソムデット・チュアン最高僧正代行の最高僧正昇格を妨害し、現在まで続く問題を生じさせている。またタンマガーイ寺院指導者のタンマチャヨー師の僧籍剥奪、刑事事件での立件手続きを進めるように追及し、「出頭命令」を発出させ、さらには「逮捕状」まで発出させることに成功し、タンマガーイ寺院内部への立ち入り捜査にまで踏み込ませようとしている。

 ここまで明確な実績があるのに、なぜパイブンは、他の(元上院の)人々と同様に憲法草案の移行過程条項に従って、上院議員に選出されることを容認せず、新たな動きを示し始めたのであろうか。それどころか、政党設立を準備していることを社会に対して、はっきりと示し、もし、同政党が下院議員に選出される場合には、プラユット首相兼NCPO議長の首相続投を支援すると明言している。その理由は、追加質問に賛成した1000万人の国民が自分と同様に、プラユットが首相に就任するべきであると考えている自信があるからである。

 当然ながら、(選挙になれば)パイブンの名声を国民の一部が支援するだろうが、憲法の中身がより重要であることを忘れてはならない。追加質問が盛り込まれて修正された憲法には、250人の上院議員が首相選出の投票に参加することになる。首相候補は、選挙前に各政党が作成した3名以内の首相候補リストの中の人物である必要がある。このリストの中の人物は、選挙に立候補している必要はない。しかし、もし各政党のリストの中の候補者から首相を選出することが出来ない場合には、下院議員の過半数の賛成を以て、国会議長に対して、政党が事前に提示していたリスト以外の人物を首相に就任させる例外規定の適用を申請することが出来る。

 パイブンによる提案は、政治的にはジョークであるように見られている。なぜなら、各政党による首相候補リストは、下院総議席数の5%を獲得した政党のリストのみに限られ、つまり、25人以上の下院議員を要する政党である必要があり、それは「国民改革党」には獲得が難しい数字であるからである。しかし、憲法規定によって、「正義団結党」(注:1991年のスチンダー陸軍大将によるクーデター後に結成された軍による受け皿政党)の過去のモデルも非議員首相の選出のためには使えない中では、もし各政党による首相候補者リストの中から首相が選出出来なかった際の一つの選択肢として、この政党は使えるのかもしれない。

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • NESDB、今年の成長率を2.9%に修正
  • 11月29日「父のための自転車」予行演習実施
  • 世論調査:首相の選出
  • タクシンは香港滞在
  • 軍事法廷で裁かれる市民は1629人
  • 映画スタジオGTHが年内で事業終了
  • 映画スタジオGTHが年内で事業終了
  • スラタニー県で500バーツ偽札が出回る
  • クラビ空港前で農民団体と地元住民が一時衝突