ポストトゥデイ・オンライン版が、国民投票に関する評論記事「プラユットは、憲法草案国民投票の反応を計るためのカードを切った」を掲載しているところ、概要以下のとおり。
「もし上手くいかなかったら、私は自分で(憲法草案を)書くことだってできる。国民が望むような形で。自分が書きたいように書くことはない。私は法律の知識はないが、国民が書いて欲しいという感情を読み取って、(憲法草案に)盛り込むことにする。そしたら、それは可決するか否決するだろうか。これまで(の憲法草案)より可決しにくいかもしれない。皆の心次第である」。これが国民投票の最終コーナーまで差し迫ったこの時期でのプラユット首相兼NCPO議長の発言である。
この発言は、「否決」を主張する様々なグループに対しての「合図」であると解釈されている。プラユット首相は、その後、「私の発言は非公式なもの。私は自分の気分で発言する。これが私の話し方である。知っているよな?どうにでも解釈されるようなものだ」と述べて、この前の発言のトーンを弱めた。
(プラユット首相によって)新しく憲法草案を起案することは、出来ないことではない。もし憲法草案が否決された場合には、実際に起こり得て、可能性の高い一つの方法である。なぜなら、新たに起草委員会を設置して、起草し直すより迅速に起草できるからである。起草委員会が長い時間かけて起草すれば、2017年中には選挙を実施するというスケジュールに影響を与えることになってしまう。
注目しなければならないことは以下の2点である。(1)プラユット首相自身であろうが、首相自身のチームであろうが、実施際に誰が起草するのか、(2)どのような内容にするのか、である。最初の点は、もしプラユット首相自身が国民の要望を反映させて起草した場合、最後には運用に問題が起こらないように側近が文言修正をしなくてはならない。それでもどのような内容を入れるかの決断権限は、プラユット首相の手の中に完全にある。なので、これまで議論し、批判されてきた上院及び下院の選挙制度、選出方法、権限、首相選出方法といった全ての問題点は、全てプラユット首相がどう判断するか次第である。別の代わりの人に起草権限を委ねたとしても、様々な論点を決めるのは、プラユット首相乃至NCPOである。どっちにしても、NCPOが新憲法草案の起草過程を管理することになり、様々な勢力からの意見を聞くことを省略することになる。ミーチャイ版憲法草案が様々要望を反映させて内容を修正させてきたようにはならない。
内容については、プラユット首相かNCPOの誰かが内容を決めることになるので、一つのグループの意向のみを受けたものになる。そのため、様々なグループが賛成しなかった論点で現在の国民投票を待っている憲法草案で削除修正された箇所につき、反対勢力の意見を聞くことなく、NCPOの権力継承を意図した条項を再び新憲法草案に盛り込むことができるようになる。重要なことは、新しい憲法草案は、時間短縮と予算節約のために国民投票を実施しないとみられることである。
様々なグループが憲法草案を批判しているこの時期にプラユット首相がこのような発言をした意図は、反対派グループに憲法草案を否決することで生じるリスクがあるかどうかを考え直させることにあった。これはプラユット首相が、反対派の反応を計るために切った最後のカードである。