トンナムのタイ政治経済研究室

タイ政治の解説、分析などを中心としたタイ研究の専門家によるブログです。

2017年12月

プレム枢密院議長からの警告に関する評論記事

マティチョンは、「プレムお父さんからの年賀挨拶:NCPOの支持者はほぼ居なくなった」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 シーサオテウェート公邸でのプレム枢密院議長への年末の挨拶の終えて間もなくに第1歩兵近衛師団内に所在する「5県森林保護財団」(注:プラウィット副首相兼国防相の住居)でも年末の挨拶を受けつけた(失礼をしている)が、プレム「お父さん」(パー)からは、「トゥー(注:プラユット首相のあだ名)よ、もう支援者を使い果たして、残りの支援者がほとんど尽きようとしているぞ」との大きな不安の言葉が伝えられた。この言葉は、プラユット首相の心の中だけでなく、プラウィット副首相兼国防相、アヌポン内相の心にまで響いたであろう。少なくともNCPO内の「3P(ポー)」(注:タイ語のアルファベット表記で上記の3名を指す)は、これを重く受け止めている。なぜなら、(彼らNCPOの言葉を借りれば)「これまで3年間で実行してきた様々なことが、人々にとって理解できないか、理解を一致させることが難しいことであるから」である。それでは、これまでの3年間は成功したものであったのだろうかという疑問が沸いてくる。

 プレム枢密院議長からの上記の言葉は、「3Pは、毎日、大変な苦労をしている(ドーン・ナック)」との言葉と連続している。2014年5月に(彼らが)「国民に幸福を取り戻す」という目標を掲げてクーデターの実行を決断したときには、3年も経過すれば、健やかな状況に改善しており、人々は「腹一杯で気持ちよく眠れる」(キンイム・ノーンスック)となっているはずであった。しかし、どのような要因によって、「3Pは、毎日大変な苦労」に追い込まれてしまっているのであろうか。もし、各種世論調査の結果通りにNCPOへの支持、特にプラユット首相への支持が90%を越えているのであれば、それは誰よりも、どのような勢力よりも支持されていることを意味する。それならば、どのような理由によって未だに政党活動の解禁に応じられないというのであろうか。

 プレム枢密院議長からの言葉には、明確な不安が示されていたが、それはプレム枢密院議長が最初からNCPOの応援者であったからだけではなく、今でも支援者であるからである。2017年12月22日に発表されたNCPO議長命令2017年第53号(注:政党法の改正)は、プレム枢密院議長のような支援者にまでそのような不安な感情を抱かせたのであった。なぜなら同命令に対し、支援者グループ内からも強い反発の声が上がっているからである。少なくとも民主党の態度は、プレム枢密院議長とほぼ同じである。要するにクーデターに賛成であり、ステープ・トゥアクスバン率いる「バンコク・シャットダウン」と連携し、クーデターの正当化のための運動を支援してきた強固な支持者であるが、そんな民主党でさえ、現在は無視された状態に置かれているのである。まるでバイトゥーイ(パンダナスの葉)から葉がとれて使い道がなくなってしまった状態と同じようになっている。支援者の心の痛みは明白である。

 旧年の2017年が過ぎ、2018年の新年を迎え状況は転換するであろうか。成功を願う応援歌が得られるであろうか。プレム枢密院議長の不安は、NCPOを取り巻く支持者の真実を反映したものであった。これがプレムお父さん流の「年賀挨拶」なのである。

政党法改正に関する評論記事

マティチョンは、「政治への攻撃計画:NCPO議長命令2017年53号は、遺体を縛る計画」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 NCPO議長命令2014年57号が適用されて以降、政党の活動が一切禁じられているため、NCPO議長命令2017年53号に対しても同命令が適用されている。これが再び政治家を攻撃するための標準型となっている。2014年には政党の活動を禁じたが、2017年には、古い政党を「(亡骸として火葬するために)縛り付け」(マットトラサン)、新しい政党に便宜を図る目的で使用されている。

 ステープ・トゥアクスバンPDRC事務局長とパイブン・ニティタワン改革国民ネットワーク代表が連携調整しながら提案した政党法への問題提起を背景として、NCPO議長命令2017年53号が発出された。二ピット・インタラソムバット(民主党副党首)からの要求や、ソムサック・プリサナーナンタクン(タイ国民発展党幹部)からの要求、チャイカセム・ニティシリ(元法務大臣・タイ貢献党幹部)からの要求をまとめて合わせて、(政党法で規定される登録手続き期限を)「リセット」し、(全ての既存政党を解党する)「セット・ゼロ」にしようとしたのであった。

 NCPO議長命令2017年53号による「彫刻作業」は、政党の心臓部への攻撃に等しく、1946年4月から続く最も長い歴史を誇る政党の280万人の民主党員を打ち砕くものである。ピブン・ソンクラム元帥の時代もタノム・キティカッチョン元帥の時代も激動を乗り越えてきたのに、民主党はNCPOの時代に破壊されることとなる。軍人新党のために民主党員を誘導しようとする或る「爺さん」(注:ステープ)の役回りに対して、怒りを込めた言説が党内で見られるようになっている。この怒りには、標的が居るのである。もし仮に緊密に民主党内部の人々と事前に相談をしていたのであれば、NCPO議長命令2017年53号のような「彫刻作品」を築き上げることは困難であったであろう。

 2006年9月以前の状況と2014年5月以前の状況は関連性がある。「無駄」となったクーデターからの教訓はどこにあったのであろうか。実際のところ、タイ愛国党、国民の力党、そして現在のタイ貢献党と権力掌握を争っていたのは、数多くの政治的意図を反映したものであったかもしれないが、現行2017年憲法に至っても、その目的それ自体に変更はない。ただし、NCPO議長命令2014年57号とNCPO議長命令2017年53号が組み合わさって、その標的が拡大しており、タイ貢献党だけに限定されてなくなっているのである。一部の政治家のように「可愛く」振る舞わなければ、上記の命令により、民主党もタイ国民発展党も、タイ名誉党のような旧政党でさえも標的となるである。この命令の効果として、政党側の考え方に変化が起こるのかどうか、この先長くないうちに回答は導かれるであろう。

 (選挙に向けての)政治手続きのカウントダウンが進むにつれて、より混迷が生じている。なぜなら希望していることは、権力を継承することであり、それが重要な目的なのであるからである。政治の発展のために重要であり、古い政党を縛り付け、新しい政党の権力を徐々に終焉させていくために重要なのである。全ては「選挙の前に改革」のためなのである。

総選挙の延期に関する評論記事

ポストトゥデイ・オンライン版は、「総選挙の延期、更に遅らせれば、更に疲れる」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 総選挙延期の噂は、再び話題となって戻ってきた。予定しているロードマップ通りに進まないように様々な出来事により妨害されようとしている。これまでプラユット首相兼NCPO議長は、2018年中に総選挙を実施するとの明確な合図を送っており、何も問題がなければ、2018年11月に総選挙を実施すると準備をしているが、それでも実際に総選挙が回避されることなく、実施されるという確固たる信頼を得られていない。重要なことは、もしNCPOが総選挙実施の延期を決断すれば、言い訳に使うことが出来る多くの理由が用意されていることである。ただし、その理由を聞いて社会が納得するかどうかは別の次元のことである。

 第1の理由は、総選挙の実施に必要な憲法付属法が制定を終えなければいけない時期までに終わらないことである。これが「ドミノの先頭」となり、総選挙実施までの全ての過程に影響を及ぼし、延期に結びつくのである。憲法第268条の規定では、総選挙の実施に関わる4つの憲法付属法が公布・施行された後150日以内に総選挙を実施しなければならない。現在までに政党法、選挙管理委員会法の2つの憲法付属法が公布・施行されており、残りは、下院選挙法と上院選出法の2つとなっており、国家立法議会(NLA)で審議中となっている。先の2つの付属法の制定以降、総選挙の実施を延期させるためにNLAでこれら残り2本の法案を否決するようにキャンペーンが行われるのかどうかが再び注目の的となっている。それは、法案が廃案になるということではないかもしれない。下院選挙法と上院選出法は多くの観点から批判に晒されており、そのため議論が続いて折り合いを付けることができず、最後には審議期間が延長にならざるを得なくなるということも有り得る。さらに新たな話題として、既に施行されている政党法が規定する幾つかの条件を修正するように同法を改正すべきという議論が社会の多くの人々から提起されている。

 第2の理由は、政党が選挙に臨む準備が整っていないことである。現行憲法及び憲法付属法によるルールの下では、各政党が党員名簿の変更を通知し、党員総会を開催し、新たな党役員を選出し、党運営規則を改正することを2018年1月5日までに完了することを義務づけられている。重要な問題はこの期限日である。NCPOは依然として、政党活動の禁止、党会議禁止の解除を認めようとせず、従って、選挙へ向けての準備を進めることができないのである。NCPOからの禁止命令解除が延期になっていることで、NCPOは総選挙を実施できないようにするための条件を整えようとしているのではないかと見られている。なぜなら、憲法付属政党法が施行されてから、既にある程度長い時間が経過しているが、同法が定める必要な手続きを行えないまま時間が過ぎ去っていっているからである。明確な理由もなく延期が続けられており、更に様々なグループが既存政党と新政党の間の公平性を根拠として、政党法の改正を要求していることも重なって、総選挙の実施が延期されるとの噂がより広まっているのである。政党法の改正を要求しているグループに注目すれば、NCPOが政権の座を継続することへの支持を表明している人々のグループに過ぎないことが分かる。各断片を組み合わせれば、現在の動きの背後にある秘密のイメージがより鮮明に見えてくるであろう。

 第3の理由は、「選挙の前に改革」(のスローガン)を再び提起することである。この理由は、最も重要度が低いが、この理由を掲げる動きがあり、併せて、先日プラユット首相から国民への「6つの質問」が提起されている。同質問では、未だ改革が終わっていない段階で、総選挙が実施されたら、その後どのような問題が生じるのかを考えておくくようにと要請されている。つまり問題はこの点なのである。これまでの3年間で政府、NCPOは、絶対的権力を手にしておきながら、改革の全体的な成功に導けないでいるのである。だから成功させるように政権の座に留まり続けるというのである。

 上記の3つの理由が総選挙の実施を延期させるための口実となる。しかし、総選挙の延期は、最終的には、国家とNCPO、政権にとって、利益よりも損害の方が大きくなるだろう。現在、改善しつつある国際社会との関係を考えると、もし、これまでの予定を更に延期することになれば、国内の状況も悪化することになる。プラユット首相、政権、NCPOへの信頼度は、低下し続けていくことになり、政権運営にも支障を来すようになり、より困難な状況に追い込まれるだろう。

「東の虎」の先輩後輩関係に関する評論記事

マティチョンは、「『東の虎』の3人の先輩後輩関係は立ち入ることが出来ない塊」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 「東の虎」3人の先輩後輩関係が依然として固い結束を保っているのかどうかについて、もし未だに疑念、疑問、不明さがあるのであれば、この数週間以内に発生した重大な政治的な出来事を見れば、外部の者によって引き裂くことが出来ない程強固な「塊」(リム)であることが確認することができる。

 プラウィット副首相兼国防大臣が直面している「リシャール・ミル」の数百万バーツの高級時計に関する件では、何故、プラウィット副首相兼国防大臣が、閣僚就任時の国家汚職防止委員会(NACC)への資産報告を怠っていたのか、また将官の軍人として過ごしてきた経歴でどうやって世界最高水準の高額腕時計を入手することが出来たのか、と数多くの人々が疑念を持っている。この疑惑について、NACCが調査を実施することを会見で約束せざるを得なくなっており、プラウィット副首相兼国防大臣に1週間以内に追加説明を求める事態にまでなっている。「母の指輪であり、友人の時計」であるとの仮想現実世界のプラウィット副首相兼国防大臣の言い訳が信用されるか、さもなくば別の真相が明らかになるか、いずれにせよ合法的であるとの説明が試みられることになる。しかし、社会の潮流は、そんなことでは納得出来ないほど遙かに先鋭的になっている。そして、批判の「剣先」は、「ポム」爺(注:プラウィットの愛称)を中心に捕捉していることがより明確となっている。それでは、この問題について「トゥ」爺(プラユット首相の愛称)がどのような見解を持っているのであろうか。

 プラユット首相は、メディアから批判の標的となっているプラウィット副首相兼国防大臣を応援するかどうかと問われ、「私が応援しなければいけないことは何もない。プラウィット氏は十分に頑強であり、軍人である。我々は、子どもではないのであるから、自分の面倒は自分で見られる。メディアには、批判を多少和らげてくれるようにお願いする。法律的に規定されている通りの手続きで対処するので、全てを酷いと思って見ないで欲しい。まずは法律の規定を見て欲しい」と述べた。またメディアから、プラウィット副首相兼国防大臣が数々の案件で標的にされていると思うかと問われ、プラユット首相は、その通りであり、メディアなどがそのように見ていると肯定し、「彼らは、私から(プラウィット副首相兼国防大臣を)引き剥がそうとしている。私もそんなことは知っている。私だけでも非常に頑強である。もし、周囲の人がより少なくなれば、これまで以上に怒鳴ることになる。全力で権力を行使する」と明確に答えた。

 今回の内閣改造前の状況を振り返ってみれば、「標的対象」となり更迭されるべきと思われた大臣は、アヌポン・パオチンダー陸軍大将・内務大臣であった。怠惰であり、目立った成果も出していないと言われていたからである。しかも、自らに近い人物達に要職を委ね、しかもそれを内務省内だけでなく、他の省庁にまで広げて送り込もうとしたため批判の声に晒されていた。しかし、結局のところ内閣改造の結果は、アヌポン内務大臣の地位は安泰であった。「表面に傷がついても割れ目は出来ない」のである。

 2014年5月22日のクーデター前の関係はどうであったろうか。政権の座に就いてから3年が経過したが、「東の虎」の3人の先輩後輩関係は、その時のままである。「トゥ爺は必要だが、ポム爺は不要である」とか、「トゥ爺は必要だが、『ポック』(アヌポン内相の愛称)兄貴は不要である」といった批判や助言の声が寄せられ、そのような意見を表明することは自由であるが、実際のところ、当初から(3人の)「パッケージ」として商品が国民に提案されていたのであり、現在に至るまで、それを「バラ売り」するようなことはないのである。仕事をしていれば、意見が異なることや、気持ちが一致しないことも普通に起こることである。しかし、一瞬にして先輩、後輩として団結し、「理解し合える」のである。溝が出来ていても、それは消失するし、理解出来ないことも、出来る限り理解するようにするのである。「一緒に居れば皆が死んでしまうので、独りだけで死んで貰う」ではなく、「離れてしまえば皆が死んでしまうので、皆が一緒に居る」という原理なのである。

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