トンナムのタイ政治経済研究室

タイ政治の解説、分析などを中心としたタイ研究の専門家によるブログです。

2016年12月

南部7県爆弾事件及びバンコク爆弾計画に関する評論記事

イサラニュースは、南部7県爆弾事件及びバンコク爆弾計画に関する評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 「我が国における深南部国境県での武装グループによる攻撃の幸運なことは、場合により深南部域外での活動が行われることがあっても、それが継続的ではないことである。もし攻撃が域外で継続的に拡大していれば、タイ社会はこれ以上の攻撃に晒されていたであろう。」上記は、治安研究で有名な専門家の言葉である。8月10日~12日にかけての上南部7県での20発の爆弾テロ事件で示されたように、また10月上旬にバンコク都内でテロの準備をしていたグループが逮捕されたように、深南部国境県の域外に活動を拡大させる戦術をとっているのであれば、タイがテロ攻撃に晒されるリスクはより高まっていることになる。

 先述のスラチャート教授は、以下のように見ている。今日のタイ深南部での治安問題は、バンコクを含めた域外にまで活動領域を拡大させているのかどうか判断が難しい。タイは国内テロの脅威に直面しており、いつでも、どこでも爆弾テロに遭う可能性があるというのは真実かどうか疑問があるからである。なぜなら、8月に上南部7県での爆弾事件が発生してから既に4ヶ月以上が経過しているが、事件の捜査を担当している警察は、事件の動機について、未だに結論づけることを出来ないままであり、単に容疑者11人の逮捕状を発付し、その内の3人を逮捕したに過ぎないのである。その11人は以下のとおりである。
(1)プーケット爆弾事件(4人)
・アーハーマ・レンハ(ナラティワート県タークバイ郡在住)
・ムハムマド・ムーヒー(パッタニー県ノーンジック郡在住)(逮捕済み)
・ユーソ・メティモ(パッタニー県ノーンジック郡在住)
・アブドゥラサトーパー・スロン(パッタニー県在住)
(2)ホアヒン爆弾事件(3人)
・ルサラン・バイマ(ソンクラ-県テーパ郡在住)
・セーリー・ウェーマーム(ソンクラ-県テーパ郡在住)
・アサミン・ガーテムマーディー(パッタニー県ムアン郡在住)
(3)パンガー爆弾事件(2人)
・イスマーエー・アーウェガジ(逮捕済み)
・スーキーマン・グーバールー(ナラティワート県在住)
(4)ナコンシタマラート爆弾事件(1人)
・ハーキム・ドーロ(パッタニー県ムアン郡パガーハラン地区在住)
(5)トラン爆弾事件(1人)
・アブドゥルゴーデ・サーレ(パッタニー県ヤラン郡在住)(逮捕済み)

 同連続爆弾事件はトラン県の中心部のセンターポイント市場前で午後から開始され、それが落ち着く間もなく、次の爆発が発生し、ホアヒンのような有名な観光地でも同日中に爆発が続いた。その夜から翌朝にかけても爆弾と発火装置による放火がパンガー県、クラビー県、スラタニ-県、ナコンシタマラート県でのスーパーマーケットで続き、トラン県のスーパー内、ホアヒンの時計塔周辺、プーケット県パトンビーチの交番前でも事件が発生した。

 事件後に警察が発表した容疑者の名簿には、深南部国境県出身の人物が含まれ、その一部には、これまでの治安事件での容疑で逮捕状が出ている者が含まれていた。この事件を実行したグループは、「パッタニー・チーム」、「ハジャイ自動車爆弾チーム」、「サムイ島自動車爆弾チーム」の3つのチームで混成されていることが分かった。「ハジャイ自動車爆弾事件」とは、2012年ソンクラ-県ハジャイ市内の「リーガーデンホテル」で発生した自動車爆弾事件であり、「サムイ島自動車爆弾事件」とは、2015年スラタニ県サムイ島の「セントラルフェスティバル」デパート内で発生した自動車爆弾事件である。上南部7県の爆弾事件、ハジャイ自動車爆弾事件、サムイ自動車爆弾事件の3つの事件から容疑者の名簿を整理すると以下のとおりになる。
(1)パッタニー・チーム(上南部7県爆弾事件より)
・ムハムマド・ムーヒー(逮捕済み)→プーケット爆弾事件
・ユーソ・メティモ→プーケット爆弾事件
・アブドゥラサトーパー・スロン→プーケット爆弾事件
・ハーキム・ドーロ→ナコンシタマラート爆弾事件
(2)ハジャイ自動車爆弾チーム
・ルサラン・バイマ→ホアヒン爆弾事件
・セーリー・ウェーマーム→ホアヒン爆弾事件
(3)サムイ島自動車爆弾チーム
・アサミン・ガーテムマーディー→ホアヒン爆弾事件
・ハーキム・ドーロ→ナコンシタマラート爆弾事件

 警察のデータを信じるならば、上南部7県爆弾事件の容疑者の一部は、これ以外の過去の重大爆弾事件の容疑者と重なっているため、新たに深南部の者が域外で爆弾を仕掛けたような事案ではないといえる。また、警察の捜査では、8月23日に発生したサザン・パッタニーホテル前での自動車爆弾事件が上南部7県の事件から僅か11日しか離れておらず、ナコンシタマラート爆弾事件のハーキム・ドーロの手口であると考えられている。他方で、11月17日に発生したパッタニー県ヤリン郡ピヤラーム寺院前での自動車爆弾事件については、シーワラ-警察副長官のような警察幹部が、プーケット爆弾事件のアブドゥラサトーパー・スロンの手口であると述べている。そして、爆発に使用された自動車は、ホンダ・シビックであり、10月にACD会合が開催される頃に治安当局がバンコク首都圏での百貨店や観光地を狙った自動車爆弾に使用される可能性があると警告していた車両と一致していた。

 バンコク首都圏で爆弾事件を計画していたとして警察が身柄を拘束した9人の容疑者は、全員が深南部出身の人物であり、その中のほとんどが本人の出身地乃至配偶者の自宅がナラティワート県の「シーサーコン郡」であり、当局はこれを「シーサーコン・チーム」とみている。9人の名前は以下のとおりである
・ターミシー・トターヨン
・アブドラシン・スーガジ
・ムーバーリー・ガナ
・ウサマーン(もしくはマン)・ジョガオ
・ミーシー・ジェハ
・パトムポン・ミヒエ
・アムラム・マイー
・ウィラット・ハミ
・ニヘン・イーニン

 上記の最初の3人の容疑者は、最初に逮捕状が発付され、南部前線基地で軍の情報機関が11月12日に尋問を行い、11月30日に犯罪鎮圧局に身柄が送致された。残りの6人については、2回目の逮捕状発付で逮捕され、12月12日に犯罪鎮圧局に身柄を送致された。

 上南部7県爆弾事件、深南部域外に当たるハジャイ、サムイの2つの爆弾事件、バンコク首都圏での爆弾計画に関わる全ての容疑者達の名簿と経歴を分析してみて判明したことは、上南部7県爆弾事件が深南部で活動しているBRNが域外に活動領域を拡大させていることを意味するのかどうか判断が難しいことである。その理由は以下のとおりである。
(1)一部の容疑者は サムイ島事件のような政治対立を動機とすると見られるような他の攻撃にも関与していたこと。
(2)上南部7県爆弾事件での一部の容疑者は、以前に他のチーム、つまりパッタニー・チームでも、ハジャイ自動車爆弾チーム、サムイ自動車爆弾チームの容疑者とも一緒に活動をしたことがない。それが警察のデータを信頼性を損なわせている。例えば、アーハーマ・レンハは、ナラティワート県タークバイ郡の人物であるが、上南部7県事件の前には、「タイ帰還事業」の参加者リストに名前があった。
(3)上南部7県事件で逮捕された一部の容疑者、特にアブドゥルゴーデ・サーレについては、パッタニー県ヤラン郡在住であるが、彼の親族は、彼が事件が発生した時点で深南部に居たというを証拠を所持している。それは、ATM前の電話ボックスに設置されていた監視カメラに写っていた映像であるが、それを捜査当局に提出し、事件の見直しを要請したが、考慮されなかった。
(4)バンコク首都圏爆弾計画事件では、捜査当局側の証拠の信頼性に関する疑問が浮かび上がっている。爆発物の部品を所有していたとされ、捜査を受けた場所は、サムットプラカーン県バーンサオトン郡新バーンプリ団地内のアパートであり、捜査担当者は、単に「ブドゥ」(マレーシア魚醤)のスープと水と食料を発見しただけであった。

 これらの理由により、スラチャート教授のような長年情勢を追ってきた治安研究の専門家でさえ判断を躊躇するのである。同氏曰く、「答えるのは非常に難しい。諜報機関が彼らのデータをどのように評価しているのか良く分からない。ただ、治安研究者として自分がこの難しい質問に回答するのであれば、こうなるだろう。つまり『我が国における深南部国境県での攻撃の幸運なことは、場合により深南部域外での活動が行われることがあっても、それが継続的ではないことである。もし攻撃が域外で継続的に拡大していれば、タイ社会はこれ以上の攻撃に晒されていたであろう。』ということである。」、「従って、上南部7県爆弾事件のように場合によっては深南部域外で活動することもあるだろうが、最終的には攻撃が起こる地域は、深南部国境県及びソンクラ-県の一部の郡に限定されるだろう。治安の観点から見れば、幸運にも攻撃は現在よりも大きく拡大することはないだろう。」

 このように全てが明確でないことが、国内治安状況を不透明にさせている。深南部武装グループが活動領域を拡大させたとの想定、政治グループが武装グループに事件を依頼したとの想定など全ての想定が合致してしまうからである。最終的な答えが明確にならない中で、今後、タイ社会は高いリスクに直面していかなければならない。

副首相の役割変更に関する評論記事

ポストトゥデイ・オンライン版は、「プラユットが権力を強化、急いで指導者像を固める」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 第4次プラユット内閣の最初の閣議が注目を集めている。ロードマップの残り期間も短くなったが、閣議では、閣僚の職務と権限の見直しが検討され、副首相の役割が変更になった。以前は全ての副首相に様々な事項の監督権限を委任し、副首相が自らの監督下の各省の担当事項にまで直接管理していた。一部の副首相は、各省の大臣が空席の場合には、その担当大臣の代わりさえを務めてきた。また副首相は、首相から特別に任されたIUU漁業問題、ICAOの民間航空機(安全性)問題、産業クラスター育成と地域分業などを含む様々な戦略的委員会の議長を務めてきた。首相によれば、「現在までに副首相が担当してきたことは職務が重すぎたので、今後は、副首相には、これまでのように詳細な事項を担当するのではなく、重要で広範で全体的なことについて、首相と一緒に考えて貰いたい。」と説明した。

 今後、2017年度予算に関して、副首相全員は、自ら細かいことまで管理する必要は無く、各省大臣がアシスタントとして、相談、調整、フォローアップ、アイデア提供などの詳細な事項を担当することになる。簡単に言えば、副首相の残りの職務は、監督するだけであり、各省大臣に主要な政策の実行運営を任せることである。その際には、予算局、文民公務員委員会事務局、公務員発展委員会事務局、法制委員会などの様々な機関を巻き込んでいくことになる。

 今回の変更で注目に値するのは、2人の副大臣である。それは、経済担当のソムキット・チャトゥシーピタックと治安担当のプラウィット・ウォンスワン大将である。経済分野に関して、ソムキットは、これまでも経済政策全体を管理し、それから信頼を置く各省の大臣に職務を分担させている。これまでの経緯から注目を集めているのは、「東の虎」の兄貴分であり、以前はプラユット首相よりも大きな役割を持ち、NCPOの本物の権力者であると目されていたプラウィット大将の方である。今回の副首相の職務分担変更は、プラユット首相が自らに権限を集約し、権力を強化するためであったと見られている。これは、内閣改造前に流布したプラウィットが閣外に更迭される、または自ら閣僚を辞任するとの臆測と一致している。閣僚ポストを揺るがす程の勢いの荒波を受け、プラウィットは、以下のように感情をむき出しにて説明していた。「出鱈目な報道だ。そんな記事をどうやって書けるんだ。首相が内閣改造をして、プラウィットが敗れ去るというのか。私を切り捨てるようなことをすれば、政権を脆弱にさせることになる。私を更迭したいなんて、そんなことどうやって出来るというのだ。実際のところは、何もないのだ。私は高齢だが、それでもまだ仕事はできる。」

 これまでプラウィットは、軍と警察の配置に至るまで、治安問題を一任されており、背後で糸を引いているとみられていた。しかし、その後、プラユット首相の人事配置での役割が見え始めて来た。特に今回の陸軍司令官人事では明確であった。プラウィットが推していたピシットに対抗し、プラユット首相は、チャルームチャイを推して、後任の陸軍司令官に就任させることに成功した。東の虎の兄弟間の意見の相違によって、これまでに何度もプラウィットが辞任するとの報道が流れたこともあったが、最終的には対立は解消してきた。しかし、今回は対立が激化し、プラウィットがプレム枢密院議長と争っていると厳しくケチをつけられることになった。結局、事態が激化する前に急いで本人が噂を否定をしなければならなかった。

 かつてのプラウィットは、「予備」首相または、非議員首相候補として見られており、力が増しているようであった。その後、世論調査での支持率が継続的に低下してきたことを受けて、プラユット首相が自ら指導者としての役割を果たすようになってきた。それから2人は、一緒になって国民からの人気を得ることを競ってきた。滞りなくロードマップ通りに全てを進めるためには、最終的には、指導力と人気が重要であることは否定できないのである。

コンピューター法に関する評論記事

ポストトゥデイは、「コンピューター法:NCPOにとっての大きな時限爆弾」と題した評論記事を掲載しているところ概要以下のとおり。

 最終的に国家立法議会(NLA)は、第3読会で賛成168、棄権5でコンピューター法案を可決し、公布・施行を待つだけになった。これは、大きな「時限爆弾」のピンを引き抜いたことになる。NCPOの安定性をどれ程揺るがすほどの威力があるのか今後に注目していく必要がある。

 コンピューター法案が閣議了承を経てからNLAの議題に上るまでの間に徐々に反対の声が盛り上がってきた。反対運動は、コンピューター法案をNLAの議題から取り下げることを要求していたが、法制化の動きを止めるだけの十分な力を持ち合わせていなかった。コンピューター法の内容は、表現の自由の権利侵害と見られており、いくつかの問題点について修正が要求されてきたが、修正はされないままであった。

 治安とNCPOの安定性に影響を与えないため、当初、NCPOは、規則及び命令を厳格に適用し、全ての政治集会、デモを封じてきた。これが、コンピューター法への反対運動が着火することを妨げた。反対運動は、当局の統制から外れたオンライン上だけに限定された。NLAの第3読会審議の直前でさえ、同法案の取り下げ乃至再検討を要求する声は十分な力が足りず、議決を阻止することはできなかった。

 法制化が決まったにもかかわらず、コンピューター法への反対運動は、沈静化することはなく、むしろ逆に反対運動は以前よりも力を増すことになっている。反対を表明しているグループは増加しており、インターネット上のグループは、政府機関のウェブサイトへの攻撃のレベルを引き上げることを表明している。「シングルゲートウェイ反対市民グループ」のフェイスブックページは、12月20日以降の攻撃レベルの引き上げが表明されており、その後、政府、首相府、官報、国家安全保障会議(NSC)の4つの政府機関のウェブサイトがダウンし、アクセスできない状態になった。「シングルゲートウェイ反対市民グループ」の動きに併せ、インターネット上の住民は、誘い合い、一斉に国防省とデジタル経済社会省のウェブサイトも攻撃した。

 コンチープ陸軍少将・国防省報道官は、国防省のウェブサイトを攻撃している個人、グループがいることを認めたが、大きな損害を被ってはいないと説明した。またルッティ陸軍中将・陸軍サイバーセンター所長は、特に外国からの異常な程の政府機関への攻撃を受けていることを明らかにし、政府機関及び担当職員に対し、インターネットのポート(出入り口)の安全管理に警戒し、もし必要がなければ一時的に閉鎖することを勧めた。

 「FIST」(Free Internet Society of Thailand)と名乗る学生グループは、バンコク芸術文化センター前でコンピューター法の反対集会を開催した。折り紙の鳩に、「コミュニケーションは管理され、自由を失うことになる」とのメッセージを書き込み、「インターネットの自由」、「プライバシー侵害」、「インターネット規制に反対」などのメッセージが書かれたプラカードを掲げた。

 NCPOは、コンピューター法の反対運動を行っているグループはNCPOの安定を脅かすほどに十分な力を有していないと評価しているかもしれない。しかし、少なくとも36万人の国民が同法に反対の署名をしており、さらに増加する傾向を示している。そして重要なことは、海外からの圧力も増していることである。ついには、国連高等人権弁務官(UNOHCHR)がコンピューター法の可決への懸念を表明した。国内からも国外からもNCPO政権への圧力は高まり続けている。これに上手く対処せず、激化していけば、ロードマップが影響を受けることになるかもしれない。


政党活動規制に関する評論記事

ポストトゥデイは、「政党を凍結し、混乱を防ぎ、NCPOの安定性を強化する」と題した政党活動規制に関する評論記事を掲載しているところ概要以下のとおり。

 プラユット首相兼NCPO議長の以下の言葉からの合図は明確であった。それは、政治活動の解禁という政治家の夢を打ち砕き、それどころか、より政党の規制を強化するというものであった。
「時間になれば騒いでおいて、(政治活動の)解禁を要求してくる。自分達自身が闘争を解除せず、誰かを解きほぐすことなど出来ない。だから自分も(政党活動の)解禁などしない。まずは協力し合わなければならない。それが出来たら、全員に解禁ができる。もし協力もせず、何も言うことを聞かず、意見も述べないで、利益だけを得ようというのなら、自分は解禁などしない。むしろ、より一段規制を強化しようと思う。」

 これは全く予想されていなかった内容ではない。各政党が何度も一部の政治活動が可能なように要求しても、NCPOは、これまで、まだ自由に政治家に政治活動を解禁すべきではないとの意思表示を継続していた。自由な政治活動の解禁でも、批判的な意見表明の完全解禁でもなく、寄付金を受け取ったり、入党の受付を処理するなど、通常の党運営を妨げない範囲で、また総選挙の実施に向けた将来の体制を作るための最低限の党会議の開催や打ち合わせすらも、NCPOは、政党活動を許可するに値する十分な理由はないとみており、従って、異常な真空状態は現在まで継続したままとなっている。

 憲法草案の国民投票の実施前には、NCPOが政党に政治活動を認め、国家の最高法規に関して意見表明することが出来るようになると予想されたことがあった。しかし、NCPOは結局のところ、政党に意見表明をさせることも、党内意見を集約するための党会議の開催も許可せず、それどころか反対に国民投票の前には、より厳しい規則を以て、政党が全力で憲法草案を批判することを妨害した。

 NCPOが常に強調し、懸念している点は、自由な政党活動を解禁してしまえば、再び混乱を招くことが避けがたいということである。NCPOの視点からみればこういうことである。NCPOは、「鉄の掟」をもって状況を管理しようとしているが、それでも一部の政治家は、様々な方法でNCPOの運営に批判を続けており、それが何度もNCPOの安定性を傷つけてきた。そのうち何度かは、NCPOへの信頼を激しく損なわせ、人気を大きく落とすことになった。まだ政治集会のスタイルでの意見表明を認めていないが、それを認めてしまえば、これまでクーデターから2年間封じられていた分、即時に「爆発」することになり、国家は混乱状態に戻ってしまう。また重要なことは、この機会に乗じて、第3者がNCPOが対処出来ないほどの混乱状況を作り出そうとするかもしれないということである。ロードマップの最終コーナーに差し掛かり、NCPOは計画を狂わせる変数やリスク要因をコントロールする必要がある。そうしなければ、これまでわざわざ実施してきた全ての事が、最終目的地点に到達する前に水の泡になってしまうからである。

 政党からのNCPOに対する圧力は強まってきている。政党は、1年後に控えた総選挙に向けて、政党活動の解禁を要求している。政党にとっては、新制度に変更になるため、十分な準備と対応が必要になる。政党員の募集から選挙の実施まで、全てこれまで経験したことがないスタイルとなる。それ故にNCPOに政治活動の解禁を要求しているのである。しかし、今回のプラユット首相からの合図は、政党の要求通りにはならないことが明確であった。今回の各政党からの圧力の重さを計測すると、これまでよりも重みがなく、NCPOと交渉し、承服させるには十分でなかった。一部の国民は、混乱を招き、社会に損失を与えるような政党活動を封じることを好意的に評価する意見を持っているからである。政党活動が解禁されるのは、政党法が制定され、NCPOの安定性が確実となり、ロードマップ通りに進んだ後の最後の期間だけである。

国家戦略法案に関する評論記事

ポストトゥデイ・オンライン版は、「国家戦略法案は新政権をロックする鍵」と題した評論記事を掲載しているところ、概要以下のとおり。

 ミーチャイ・ルチュパン憲法起草委員会(CDC)委員長の発言は冗談ではない。同委員長は、選挙によって誕生した新政権が新憲法で規定されている20年の国家戦略計画に従わずに政策を実行すれば、それは違憲となると述べた。明確な罰則は規定されていないものの、違憲行為としての相当の罰則が下されることになる。

 国家戦略法案は、新憲法の公布・施行後にCDCによって起案され、国家戦略の策定方法、国家改革の方法を定める法律であり、120日以内に提出される。その後1年以内に国家戦略と国家改革の方法が審議される。

 国家戦略の重要な基本的内容は、既に国家改革推進議会(NRSA)が研究し、基本的な部分の起草が終わっている。他方NCPO政権の想定する大雑把なビジョンは、20年後のタイには、「足るを知る経済哲学」によって「中所得国の罠」から脱し、先進国となり、あらゆる方面で安定的であり、あらゆる災害に備えてあること。または、様々な新しい課題に挑戦をしており、安定的で、持続的に年5%程度の経済成長が達成されることである。これを通じて、格差解消という目的を果たし、経済、社会、政治、治安、環境などの持続可能性を確立することである。

 NCPOにとっての国家戦略についての重要な考えは、2014年5月22日のクーデターを無駄にしたくないということである。そのために20年間の国家改革推進のメカニズムとして、「国家戦略委員会」の設置を憲法で規定したのである。NCPOは、過去これまでの政治と選挙は、シャツの色の違いによる対立が循環していると見ている。選挙での得票を得るために、政党は、長期的な視野から構造や基盤の変革につながるような国家のための政策ではなく、目の前の短期的な利益を誘導するようなポピュリズム政策を実施し、妥協も出来なくなっている。

 国家戦略は、未だその内容に関して進捗がなく、どのようなものになるのか政治家を非常に心配させている。既に11月9日に新憲法案は、国王に奏上されており、90日間の検討を経て、公布・施行される段階に差し掛かっている。最も政治家が心配していることは、国家戦略が現在権力継承に向けて励んでいるNCPOの「遺産」となることだと言えるかもしれない。NCPOが国家戦略委員会のメンバーとして残り、それが政府を上回る権力を持つかも知れないからである。同委員会は、政府に指示し、国家戦略に沿った政策が運営されるように調査し、規制・管理するメカニズムである。例外なく、NCPOが用意したロードマップに従って、選挙で選ばれた政権を拘束する「鍵」となる。1回の政権が4年間だとして、5回の選挙を経なければ、政党、政治家は、この鍵を解除することが出来ない。そのために、国家戦略は、選挙で選ばれた政権を支配するための計画なのではないかとの懸念が生じているのである。

 現在、政治家は、NCPOに対して、あらゆる形態の政治活動を解禁し、政治家が国家戦略策定の場に加わることを認めるように要求している。8月7日の国民投票で可決した新憲法案で初めて盛り込まれた20年の国家戦略は、国家の長期的な開発目標を定めるものであり、これまでの政権交代毎に繰り返し変更されてきた国家戦略とも国家経済社会開発計画とも異なる。そのため、政治家はこの動きに乗り遅れるわけにはいかないのである。

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